1999年8月25日、東京のアーバンネット大手町最上階のスタールームで、マネックス証券開業の記者会見が行われました。会場には200人くらいの記者が集まり、テレビカメラも20台くらい並び、まるで聖子ちゃんの結婚発表会見のような騒ぎでした。お目当ては当時世界中で注目されていたソニー社長の出井伸之氏。出井さんが会場に入ってくると、無数のフラッシュが光り、記者が慌てて少しでも近くで撮ろうと押し寄せ、まさに異常な熱気と雰囲気でした。会見の本当の主催者は無名のオンライン証券社長の無名の若者、35歳の私でした。しかし私が決められた席に着こうとしても、出井さんを近くで撮ろうとするカメラマンが席を占領していて、私には目もくれませんでした。その会見で出井さんが、「今日は象徴的な日です。銀座のソニービルに大きなマネックスの幕が掛かっていて、まるでソニーがマネックスに乗っ取られたみたいだ。そのようにこれからもソニーというプラットフォームを活用して、大きく羽ばたいていって欲しい」というボーナストークをスピーチの最後にされました。そして初めてカメラマンは私のことを振り返って見たのでした。
出井さんなくしてマネックスは生まれませんでした。そしてマネックスという今までの金融機関・証券会社とは全然違う匂いのする会社が生まれたことは、我が国に於いてオンライン証券が市民権を得ていったことに少なからず貢献していると思います。そしてインターネット上の様々なお金の移動を伴うネット銀行を始めとしたビジネスも、出井さんがマネックスの誕生を支えてくれたからこそ、社会に受け入れられていったのではないかとさえ思えます。ソロモンブラザーズ、ゴールドマンサックスという大企業を離れてからの私の人生は、まさに出井さんに導かれてきた人生である気がします。出井さんは、日本に於けるインターネット上の様々なビジネスや多くの起業家の総元締め的な生みの親だと思うのです。出井さんと様々なやり取りをし、多くのことを学ばせてもらえた私は本当に幸せ者です。その思い出を紡いで書き残すことは、私自身と、そしてそれを読まれる方にとっての、大切な教えとなるのではないかと思うに至りました。これから何回にもわたって、時間を掛けて、出井さんを再現していきたいと思います。