クリントン・ボンドと中曽根ボンド

最近にかけて円安が大きく進んだ。近年で主要通貨の下落が止まらなくなるケースとしては基軸通貨の米ドルの例が思い出しやすいのではないか。1995年と2011年にかけて二度起こった1米ドル=100円を超える円高、「超円高」の裏側としての米ドル安がその代表例と言えるだろう。

このうち前者のケースにおいて、米ドル安・円高が始まるきっかけとなったのは、当時の米クリントン政権が冷戦終結を受けて、対外不均衡是正のために円高誘導政策に動いたことだった。1993年1月のクリントン政権発足当時、1米ドル=125円程度だった米ドル/円は一段安に向かい、1994年にはついに100円の大台割れとなったのだ。

こういった中で、米政府も米ドル買い介入に動き、また1994年からは利上げにも動いた。ただ勢い付いた相場は簡単には止まらない。日米協調の米ドル買い介入、さらにG7(先進7ヶ国)協調の米ドル買い介入に動いても米ドル下落は止まらず、米ドル/円は100円を大きく下回り、80円を目指すところとなった。

こういった中で、1995年3月、日本政府の密使の一人として、日本の通貨政策責任者である財務官の経験者が当時の米国の通貨政策責任者だったサマーズ財務副長官と面会、そこで米ドル安阻止策として提案したのが外貨建て債券、「クリントン・ボンド」発行だった。

為替介入、さらに協調介入、そして利上げでも止まらくなった通貨安。それに歯止めをかけるための提案、その意味では究極の通貨安阻止策として提案されたのが外貨建て債券発行だったのはなぜか。それには、その時から10年以上も前に遡った局面での、米ドル高・円安阻止攻防が関係していた。

1980年代前半当時は、米ドル高・円安が大きく広がっていた。そもそもの始まりは、米国がインフレ対策で積極的な金融引き締めに動き、米金利上昇に連れた米ドル高を容認したことだった。ただ勢い付いた相場は止まらなくなり、行き過ぎた動きが拡大するところとなった。

こういった中で、当時日米の政府間で為替について協議していた日米円ドル委員会では、日本が円安阻止のために外貨建て債券を発行することが合意文書に明記されることになった。当時の総理大臣の名前から、通称「中曽根ボンド」とされたこの外貨建て債券の発行は、外貨資金を調達することにより、円安阻止からさらに円防衛体制を強化するといった意味があった。

上述のように、1990年代半ばの米ドル安阻止策として「クリントン・ボンド」発行を提案した財務官経験者は、1980年代前半の日米円ドル委員会メンバーの一人だった。1980年代前半において、究極の円安阻止策とされた「中曽根ボンド」案は、それから十数年経過した1990年代半ばにおいては、究極の米ドル安阻止策としての「クリントン・ボンド」案になったわけだ。

冒頭でも述べたように、最近にかけて円安が広がっている。その主因は、米インフレ対策に伴う「米金利上昇=米ドル高」と考えられるが、そうであるならこれまで見てきた1980年代前半の局面と類似しているだろう。

米バイデン政権は、中間選挙を控え、国民の期待の強いインフレ対策を優先的に対応する可能性が高いだろう。それを受けた「米金利上昇=米ドル高・円安」を日本が独自に止めることができるかと言えば、甚だ懐疑的だ。

日本が独自に円安阻止、円防衛の意志表明の明確化まで求められるようになるなら、外貨建て債券、「岸田ボンド」発行といったシナリオに向かう可能性があってもおかしくはないだろう。