1980年代前半の「止まらない円安」

米ドル高・円安が一時125円まで進む中で、日本経済に対する円安の悪影響への懸念も増えてきたようだ。ただ、円安を止めようとして、日本独自でそれが可能かは微妙だ。今回は、止まらない円安に日本政府が苦しむところとなった1980年代前半のケースについて、少し振り返ってみる。

1970年代後半、いわゆる「カーター・ショック」と呼ばれた米ドル暴落により、1米ドル=200円を割り込んだ米ドル/円だったが、その後はインフレ対策でのFRB(米連邦準備制度理事会)による高金利政策などにより一転して米ドル高が進んだ結果、米ドル高・円安も250円を超えて進むところとなった。

この米ドル高・円安に対して、当時の米レーガン政権は為替介入に動かず放置し、「ビナイン・ネグレクト(優雅なる黙認)」と呼ばれることとなった。為替介入を行わなかった背景には、インフレ対策を優先する中で、通貨高を容認した影響などがあったと考えられる。

ちなみに、2022年3月末にかけて1米ドル=125円まで米ドル高・円安が進んだ最近の状況も、私はこの1980年代前半の局面と似ている点が多いと考えている。米国がインフレ対策を優先する中で、インフレ対策のポリシー・ミックス、金融引き締め、財政引き締め、通貨高容認により米ドル高が展開、その結果として円安が広がっているということだ。

こういった中では、少なくとも米国のインフレが一段落するまでは、米国の金融引き締めとそれに連れた米ドル高が基本的に続くため、行き過ぎた米ドル高が広がりやすいリスクがある。その結果として「行き過ぎた円安」も広がりやすいわけだが、上述の1980年代前半において、それを日本が止めるのは簡単なことではなかった。

この当時、日米の政府間において為替政策を協議したのは日米円ドル委員会という会議だった。当時のメンバーによると、ここで米ドル高阻止を求めた日本に対して、米国サイドは日本独自の円安阻止策として外貨建て債券の発行、当時の日本の総理大臣の名前から「中曽根ボンド」発行を提案してきたという。

外貨建て債券発行とは、究極的な通貨安阻止策の1つとされるものだが、米政府が米ドル高容認を続ける中で、当時の日本政府はそんな究極の円安阻止策の検討まで迫られるところとなったようだった。

さて、既に述べたように、最近の米ドル高・円安は、この1980年代前半のケースと似ている点が多そうだ。米政府がインフレ対策を優先する中で米ドル高を容認する状況においては、米ドル高の結果としての円安を止めるのは困難を極める懸念がある。

基本的には、米国のインフレ動向次第ではあるだろうが、行き過ぎた円安が日本経済にとって深刻な問題となり、究極の通貨安阻止策である外貨建て債券発行、いわゆる「岸田ボンド」発行を検討するといったような状況に追い込まれる不安すらあるのかもしれない。