◆城山三郎の小説に「粗にして野だが卑ではない」という作品がある。それをもじれば今は「疎にして嫌だが酷くない」というところか。在宅勤務も始める前には不安があったが、やってみればなかなか快適だったり、ZOOMでの飲み会も案外盛り上がったりする。社会と疎遠になって少しさびしい気持ちもあるが、物理的に離れているだけでオンラインでは繋がれる。そんな状態は、SNSに慣れ親しんだ世代にはごく当たり前のことだろう。

◆今になって思えばコロナ以前が過密だった。満員電車、雑踏、行列、長い待ち時間…。都会はどこに行っても人、人、人であふれていた。人出が減ったと言われるが、これくらいでちょうどよい。日曜日の早朝はただでさえ人気がないが、外出自粛中ということもあって昨日の朝は極端に人が少なかった。雨上がりの爽やかな空気を吸いながら川沿いを歩いた。新緑と川面に反射する朝日がまぶしい。誰ともすれ違わない。とても快い気分になった。

◆在宅勤務が広まればオフィス需要が減ると言われている。オフィスに出てくる人が少なくなれば高い賃料を払って都心にオフィスを構えている必要はない。しかし、先日の日経新聞は異なる意見を紹介していた。グーグルの元CEO、エリック・シュミット氏は「社員が距離をとって働く必要性が高まり、必要なオフィスの面積はむしろ広くなる」との見方を示したという。

◆アフター・コロナは離れていることが当たり前になる。社会や親しい人と距離を置くのはさみしさもあるが、一方、快適な面もある。特にこれからの季節、高温多湿な日本は「密」であるより「疎」のほうがよい。「疎」という字は、疎遠、疎外、空疎、過疎地など否定的な使われ方が多いが、間が空いているという意味だ。 冒頭で城山三郎の本を挙げたが「疎にして…」というフレーズで有名なのは「天網恢恢疎にして漏らさず」だろう。天の網は目が粗いように見えて悪事を逃さない。「疎」だがきちんと機能する。われわれも、そんな適度な距離を保って生活や仕事をしていこう。