思わず目を疑った。日銀が決定した<「量的・質的金融緩和」を補完するための諸措置の導入>についてである。
<ETFの買入れについて、現在の年間約3兆円の買入れに加え、新たに年間約3000億円の枠を設け、「設備・人材投資に積極的に取り組んでいる企業」の株式を対象とするETFを買入れる。当初は、JPX日経400に連動するETFを買入対象とし、この施策の趣旨に合致する新規のETFが組成された場合には、速やかに買入対象に加える。>(12月18日付「当面の金融政策運営について」日本銀行発表文より)
日銀が、設備投資や人材投資に取り組んでいる企業の株を買うと言っているのだ。設備投資や賃上げにカネを使えと言っているに等しい。正気の沙汰とは思えない。完全に常軌を逸している。これはもはや金融政策の域を逸脱している。
よく投資家から質問を受ける。「日銀が民間企業の株を買ってもいいんですか?」
僕はこう答えていた。「いいんです。日銀は直接企業の株主となって議決権を行使したり経営に関与したりしようとする意図はなく、あくまでも量的質的緩和の一環として、おカネをばらまく手段としてETFを買っているだけだから。その昔、バーナンキ元FRB議長が言った通り、『買うものは何だっていい、ケチャップだっていい』わけだから。それに日銀が買っているのはインデックス(株価指数)に連動するETF、すなわち市場全体におカネを投じているわけです。個別企業を選別しているわけではないのだから」
もうこうした説明ができなくなる。設備投資や人材投資に取り組んでいる企業の株を買うというなら、それは日銀が買う企業を選別するに等しい。選別が入るという意味ならJPX日経400に連動するETFだって、そうではないかとの指摘があるかもしれないが、JPX日経400とTOPIXのパフォーマンスを比較すれば、これはほぼ普通のインデックス運用と変わらないことは明白だ。そうそう目くじらを立てるほどのことはない。
しかし、「設備投資や人材投資に取り組んでいる企業」となったら話は別である。最大の問題点は、「設備投資や賃上げにカネを使う」というのは、株主の立場と利益相反にあるからだ。設備投資や賃上げにカネを使えば、短期的にはコスト増になり、利益が圧縮される。すなわち、株主価値を減価させる。但し、その投資が将来の成長に結びつくなら、必ずしも株主価値にとってネガティブな話ではない。つまりは有効なおカネの使い方ができるのかどうかである。そしてそれを決めるのは第一義に株主から経営を任されている経営者の判断である。そして、成長投資にカネを使うのをよしとするか、有効な使い道がないなら株主に還元せよというか、いずれにせよ、経営者のカネの使い方に注文をつけられるのは株主だけだ。株主と企業の対話を促進する仕組みがスチュワードシップ・コードであり、そういうプロセスを根付かせていこうと官民挙げて取り組んでいるのではなかったか。
僕はアベノミクスの成長戦略のなかで、昨年の「日本再興戦略改訂2014」を比較的高く評価してきた(詳しくはこちらのレポートご参照 「日本株 堅調さの背景 PART2 内と外」)。無論、手放しで誉めちぎるというわけにはいかない。いちばん、おかしいと思うのは、ROEを高めよとか、コーポレートガバナンスを強化しよう、なんてことは「おかみ」(政府)に言われてやることではなく、企業自ら、あるいは株主との対話で決めていくことである。それに政府が口出すというのは社会主義の国営企業ではないか。このアベノミクス相場は「官製相場」だとよく言われるが、僕もそう思う。但し、それはGPIFなどが公的資金で株を買い上げるという意味ではない。政府・官邸主導で描かれた「官製」企業改革のシナリオを、投資家が割り切って買ってきたからだ。「割り切って」というのは、官製だろうがなんだろうが、きっかけはどうでもいいから、とにかく日本企業が株主重視に変わるならいいや、という割り切りである。
しかし、最近は政府による「民事介入」がいちだんと酷くなっていて、ここまでくると、そうした「割り切り」もできなくなりそうだ。安倍首相はじめ主要閣僚や官庁から設備投資や賃上げを求める大合唱。企業も企業である。先日、政府が開いた官民対話で、経団連の榊原定征会長は設備投資を3年間で10兆円増やし、来年は今年を上回る賃上げを期待すると表明した。そのご褒美が法人税の実効税率引き下げである。
経済産業省もここぞとばかり動き始めた。年末から来年1月にかけて、200を超える経済・業界団体に設備投資を増やすように要請する。経団連会長の 「10兆円増」がかけ声倒れにならないように、林幹雄経済産業相ら政務三役や幹部が経済・業界団体の会合に出席して直接要請するのだという。
それもこれも、アベノミクス新3本の矢のためだ。国内総生産(GDP)600兆円を実現するには、設備投資増加や賃金上げが不可欠。法人実効税率を20%台に引き下げることや新たに購入する機械への固定資産税の軽減という「飴玉」を用意した。そこに新たに加えたのが、日銀の補完措置「設備・人材投資に積極的に取り組んでいる企業」の株式を対象とするETF購入である。
アベノミクス相場も3年が経つ。相場用語で「小回り3カ月、大回り3年」というが、まさにアベノミクス相場も3年目の曲がり角に来ている気がする。今日の尋常とは思えない日銀の政策発表は、まさにその「曲がり角」の象徴である。アベノミクスの矢は新旧併せて6本。そのうち、唯一そこそこ機能していたのは日銀の金融緩和だけだった。しかし、ここにきて、その唯一機能していた矢も、事実上折れようとしている。
今日の東京市場の大幅安はまさにそれを暗示してのものだろう。企業の経営者がどういうカネの使い方をするのか - その良し悪しを判断するのは株主であり投資家である。ROEが高いとか、配当が高いとか、成長性があるとか、ぜんぶひっくるめて究極的に言えば、企業のカネの使い方を評価して投資家は市場で株を売買するのだ。そこに、まったく違う観点から企業を評価選別する公的な存在が市場に介入してくる。しかもそれが中央銀行だというのだから、もう滅茶苦茶である。自由を愛する市場がいちばん嫌うことだ。
今週はFRBが9年半ぶりにゼロ金利を解除、金融政策正常化への一歩を踏み出すと言う金融史に残るイベントがあった。その週末、我が国の中央銀行は、別の意味で金融史に残るかもしれない決定をした。無論、世紀の愚策として記録されるような悪い意味で、である。