イラン核開発問題の解決に向けた合意(注1)は2016年1月16日に「履行日」を迎え、イランに課されていた核関連の経済制裁は一部を除き解除されました。これを受けて、各国からの訪問団が続々とイランを訪れ、投資や購買契約の「約束」を取り交わしています。しかし、実際の契約締結にはなかなか至っていません。理由は、同国の法規制や汚職、スナップバック条項(注2)の存在などもありますが、一番の問題は、残っている米国の制裁によって大手金融機関のイラン取引再開が遅れており、ファイナンス面での制約が解消されていない点であると言われます。

米国の制裁には、主に米国人に対するもの(一次制裁)と、米国人以外に対するもの(二次制裁)があります。一次制裁がごく一部の例外を除きそのままであるのに対し、二次制裁の多くは解除されました。しかし、二次制裁であっても、米国に関する部分を中心に一部が解除されずに残っています。たとえば、米国の金融システムを利用した取引は禁止されていますので、米ドル決済は基本的にできません。また、米国の制裁対象リスト(注3)に載っている人や企業との取引は、引き続き禁止されています。この対象は広く、イランの経済に深く関わっているイラン最大の軍事組織であるイスラム革命防衛隊(IRGC)、および、その関連団体も含まれています。加えて、リストに載っていなくても、リストに記載されている者が実効支配している人や組織も対象となりますが(注4) 、どの程度の関わり方であれば二次制裁の対象から外れるのかについての米国のガイドラインは曖昧です。結果、取引相手が二次制裁の対象外であることを確認するのが難しくなっています。特に、取引相手の数が多く内容も多岐に亘る銀行にとって、この点をクリアすることは極めて困難であると推察されます。

米国の制裁に抵触した場合の制裁金は巨額であるうえ、米国での事業に制限がかけられる可能性があります。2014年6月、仏銀大手のBNPパリバはイランをはじめとする米国の金融制裁対象国との米ドルによる金融取引を行ったとして、約90億ドルの罰金および最長1年間の米ドル決済業務の禁止を米司法省から命じられました。ここまで巨額ではありませんが、それ以外にも米国から制裁を受けた銀行は複数存在します。米国制裁との関係においてイランとの取引を再開するリスクは小さくなく、欧州をはじめとする大手金融機関はイランとの取引再開に消極的と言われます。現状では、取引を行っているのは米国での活動が小さい一部の銀行に限られ、また、金額も比較的少額なものにとどまっているようです。

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この状態は、粛々と合意内容を履行しているイランにとっては想定外です。ロウハニ大統領は、合意の履行に伴う速やかな制裁解除による国内経済の活性化を強く期待していました。しかし、期待した外資の呼び込みや海外に凍結されている資産の国内への還流は遅れています(注5)。制裁解除の成果はイランの期待値を大きく下回っており、核合意の意義やロウハニ政権の安定性に疑問を投げかける声も一部から聞かれます。今のところ2017年に行われる大統領選挙においてはロウハニ氏が再選されると見る向きが優勢ではありますが、信任を確実にするためにも、制裁解除の一刻も早い成果が求められます。

一方、歴史的な核合意の成功という政権の遺産(レガシー)構築をめざす米国のオバマ大統領にとっても、この事態は不本意です。2016年5月、米国のケリー国務長官はこの状況を打開すべく主要な欧州銀行と会合を持ち、イランとの取引再開を促すよう働きかけました。しかし、欧州銀行側は目立った動きを見せていません(注6)。また、米国は議会内部に共和党を中心としたイラン核合意に対する反対派を抱えており、既に下院において複数のイランへの追加制裁が可決されています。上院で3分の2以上の賛成がない限り、大統領の拒否権でこれらの成立を阻止することはできますが、イランとの関係改善に向けて難しいかじ取りを迫られています。

イラン、米国とも、国内での核合意に反対する勢力の勢いがやや盛り返しているようですが、核合意自体が反故にされるリスクは、イラン側、米国側とも低いというのが複数の専門家に共通した見方です。制裁解除はスピードこそ期待に届かないものの、少しずつではありますが、前進しています。制裁下で一時は日量260万バレルまで落ち込んだ原油の生産量は2016年5月には日量360バレルを超え、欧州向けの原油輸出も再開、アジア向けの輸出も大幅に伸びています。しかし、ファイナンス面の制約が解消されない限り、それ以外の分野が大きく前進するのは厳しそうです。歴史的な合意を生かし、前に進めるかどうか、米国の制裁に対する金融機関の対応が注目されます。

<追記>
米国のイラン制裁の身近な例を一つ。現状、日本人は電子渡航認証システム(ESTA)により米国入国の際のビザが免除されますが、イランへの渡航経験者にはこれが適用されなくなります。過去にイランに行ったことのある方は、米国渡航の際に事前のビザ取得が必要になりますのでご注意ください。

注1)核合意については、拙稿第 122回 イラン核合意後の世界をご参照ください。

注2)核合意においてイランの合意不履行が発覚した場合、6ヵ国側は65日の猶予をもって制裁を復活させることができるという条項。

注3)米国が国家の安全保障を脅かすものと指定した国や法人、自然人などを対象としたSDN (Specially Designated Nationals and blocked Persons)リストおよび制裁回避者リスト(Foreign Sanctions Evaders List: FSE)。いずれも米国財務省外国資産管理局(Office of Foreign Asset Control: OFAC)が管理している。

注4)OFACはSDNリスト対象者(複数対象者がいる場合はその合計)が50%以上所有している企業との取引を実質的にSDNリスト対象者とみなすとしている(50%ルール)。さらに、SDNリスト掲載者が実質的に支配している者も将来的にSDN掲載者になり得ると注意喚起を行っている。

注5)2016年4月18日、米国のケリー国務長官は核合意後にイランが手にした在外資産はわずか30億ドルのみとコメント。同時に、1,000億ドルともいわれるイランの在外資産の総額は、計算では550億ドル程度であるとした。

注6)理由は同氏が財務長官ではないため権限に疑問があることや、司法の決定に対しての影響力は期待できないことなどと言われる。また、2016年7月12日には米国財務省、イラン中央銀行、およびロンドンに拠点を置く国際銀行による会合がロンドンで予定されていたが延期された。延期の理由や今後の開催時期については明らかにされていない。

コラム執筆:村井 美恵/丸紅株式会社 丸紅経済研究所

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