果たして、週末に、アメ車の旧車で友人と一緒にツーリングに出掛けました。100キロ程度行った所で雨が降ってきたので、元々はもっと遠くまで行くつもりだったのですが、安全のため予定を変更し、そこで引き返し、往復200キロ程度の行程となりました。気の置けない友人とのツーリングだったので、終始楽しいものだったのですが、運転自体はそれなりに疲れました。

と云うのも、耳を澄まし、目を凝らし、手でハンドルを感じ、腰でシャシーを感じ、足でエンジンやブレーキを感じ、文字通り全身の神経を集中して、何か異常がないかに気を付けて運転したからです。当然高速道を走ればそれなりの震動や音がして、「異音」と感じられるものもありますが、それが路面状況から来るその場限りの反応である異音なのか、或いは壊れて行き始める際の異音なのか、それを神経質に感じ分けるような神経の張り方をずっとしていて、更にはタイヤのグリップなどにも神経を集中し、疲れました。車の運転は全身活動だと思い知りました。無事帰宅すると、心身共に使い慣れていない部分を随分使ったようで、心地よい疲労感が襲ってきました。でも、とても気持ちの良い疲労感でした。

翻って考えるに、普段、現代の車を運転している時は、こんな風に神経を張り巡らさず、神経も体も疲れませんが、車の絶対的な摩擦力とか対慣性力がそんなに大きく変わる筈もなく、即ち所詮は同じ道路の上を、慣性に逆らって加速し、減速し、曲げて、それらを全て道路とタイヤの間の摩擦力でコントロールしている訳ですから、疲れないから安全だという訳ではないでしょう。本来の安全確保の分だけ心身が消費され疲れたと云うことで、全体感を知るのにいい勉強になりました。また、ゆっくりと、短めに、出掛けたいと思います。