週末に善光寺に行った時に聞いた、ちょっとタメになる話を。日の出と共に住職が朝のお勤めに来るのを、本堂のすぐ前で待っていた時の話です。そこには大きな香炉がありました。浅草寺などにもある、お線香の煙がもくもく出てきて、大勢の人がその煙を浴びて悪いところを治そうとする、あの香炉です。日の出前で、朝一番のお勤めの前ですから、まだ線香はひとつも入っていなくて、煙もたっていませんでした。香炉の脇には、線香が積んであって火を点けられるような台がありました。
住職が歩いてくる15分前頃だったでしょうか、待っている人を列に並べさせたりする人-あれは警備の人でしょうか、或いはお寺の人でしょうか-が来て、その台の七輪状の炉に火を入れました。そして線香をひと束手にして、待っている人たちに向かって説明を始めました。香炉の煙を浴びるのは間違っている。先ず線香を買い求め、火を点け、その煙を自分の体の気になるところや、一緒に来た人の気になるところにあて、その上でその線香の束を香炉の中に入れるのだと。
おぉ~~~!なるほど!これは目から鱗でした。神社に於ける、大祓の時に、形代に息を吹きかけ、それを炊き上げてもらって、自分の身代わりとしてお祓いをするのと同じコンセプトか。煙で悪いところを持ってってもらって、香炉の中に入れる、一種のお祓いのようなものか。であれば香炉の煙をありがたく浴びるのは、他人の苦痛や問題を浴びるようなものか。
真偽のほどは明らかではありませんが、神仏習合が当たり前だった中で、形代を炊き上げたり、流し雛をしたりするのと同じように、線香の煙と共に苦難をほうむるという考え方は、腑に落ちます。個人的には、これはとてもタメになりました。これからはお寺の香炉の煙を浴びるのはやめようっと。ま、実利的には、このようにしないとお線香も売れませんしね!