一泊で京都に出張に来ました。同志社大学のビジネススクールと、京都大学の学生に、それぞれ講義・講演をするためです。同志社の方は、アフリカ、アジア、アメリカを含む世界中の国々から集まった、本当にダイバースした大人の学生を対象としたもので、京大の方は就職を目指す学生を対象としたものです。
この原稿を書いているのは、同志社後、京大前なのですが、同志社のビジネススクールの学生のダイバーシティに本当に驚かされました。以前、ハーバードやウォートンで講演をしたこともありますが、その出身国の多さでは今日のクラスが圧倒的に頭抜けていたでしょう。質問も多岐に亘るので、もっと質疑応答の時間を長く取れれば良かったと切に思いました。
ほんのちょっとの合間を縫って、いつも訪れる塔頭に寄ると、そこには何百年も前から何も変わってないような、凜とした和の雰囲気が流れているのでした。考えてみると、京都は不思議な場所です。かつて多くの渡来人を受け入れ、戦国時代には婆娑羅が闊歩し、幕末には国を分けた2つの勢力の両方を抱え、伝統を守りつつも、常にダイバースな存在を積極的に受け入れてきた土地のように思われます。
伝統とダイバーシティ。一見相反するもののように思えますが、伝統があるからダイバーシティを受け入れる懐の深さがあるのか、或いはダイバーシティを認めるからこそ強く意識的に伝統が残されていくのか。そんなことを思わせる京都の空気を、いっぱい吸って帰りたいと思います。