或る大切な知人と、文学談義、いや談義とは行きませんが、ちょっとだけ好きな小説などにつき、酒を酌み交わしながら話しました。こういう時間は、何にも代えがたい貴重で上質な時間です。その方は金沢の方です。私の母方のルーツが高岡なので、金沢は親近感の強いところです。因みに金沢には高岡町という場所もあります。

さて談義は多岐に及び、文字通り時間の経つのを忘れたのですが、金沢を語る時、どうしても思い出すのが室生犀星の「ふるさと」です。

ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの。/よしや/うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや。/ひとり都のゆうぐれに/ふるさと思ひなみだぐむ/そのこころもて遠き都にかへらばや/とほき都にかへらばや。

然しながら昨晩は、この詩のことを全く思い出しませんでした。「遠き都にかへらばや」の都とは東京のことなのか、金沢のことなのか。中学校の試験問題では解答は東京となりますが、私は小さい時にこれは金沢だと感じました。今でもそう思います。どんなに辛い思いをしても、それでも尚ふるさとはふるさとであり、淡い期待を持たずして、そのふるさとに帰ろう。そのように私には思えたし、今でも思います。朔太郎も似た解釈をしたようですが、その詳細は忘れました。金沢の知人と、この話をするのを忘れました。いやもしかしたら以前に既にしたかも知れない。

省略された言葉は、想像力を働かせる範囲を広く持てるのが素晴らしい。次回飲む時に、想像力を巡らしましょう。