易経、活字と来て今日は「話す」。自分の部屋の本棚を見せるのは下着姿を見せるようなものだ、と云ったのは私の二番目に古い知己ですが、このようなコラムを書くのも、ストリーキングをしているようなものであります。

昨日のつぶやきを書いてから今つぶやきを書くまで、実に様々な人と、様々な話をしました。五千年前からの活字の世界から、一気に解き放たれたようです。自然には季節と云う波と循環がある。マーケットにも波と循環がある。そして当然のように、人の営みにも波と循環があるのでしょう。或いは、波と循環を持つことが、何事にも大切でしょうか。

これからも繰り返していくだろうこのサイクル。正しく持ちたいものだと思います。