一昨日・昨日と続く、或る友人の話。念のため説明をすると、アメリカ在住中国人の友人が、何の前触れもなく突然一昨日の夕方に京都に現れ、以来京都案内を私の知人の友人に夜半に頼んだりなど、緊急対応をしてあげたのでした。この友人が、今日のお昼にオフィスに私を訪ねてきました。東京で会うのは彼が生まれて初めて来日した5年前以来。記憶が定かではないのですが、この5年間、NYかどこかで会ったかも知れませんし、会ってないかも知れません。久し振りですが、先月も会ったような雰囲気で私たちは弁松のお弁当を食べながら話しました。

彼はいつもニコニコしているのですが、芯はゴリッとしていて、強く緊張した、近寄りがたい部分を持った人です。5年前に鮨を食べ、酒を飲みながら話した時、長く話せば話すほど、和んでいくのではなく、逆に固くてエグイと云うものが出てきて、ちょっと異様な感じがしたことを鮮明に覚えています。ところが今日彼と話していると、その固さが感じられませんでした。そのことを指摘し、5年前の感想も披露すると、彼は5年前の状態も、今の自分の変化もあっさりと認めました。人生の中で持つことになってしまった"バッゲージ"を、この前回鮨を食べてから今までの間に、自分の身から降ろして置いてこれたのだと説明しました。

酒を飲んで長い時間話さなければ本当のところは分からないのかも知れません。しかし今日の感じでは、彼は変わったように見えました。5年前は、彼の固さが取れるには何年も何年も、イメージとしては10年単位の月日が必要だと思ったのですが、果たして彼は変わっていました。今日は新しい彼に出会いました。人は変われる。たかが個人の話ではありますが、感慨深いものがありました。(彼が何者であるかは、今からちょうど5年ほど前のつぶやきの中に隠れています)