賭け事というと聞こえが悪いですが、何事も勝負はやめ時、引き際が肝心です。阿佐田哲也の小説を読んでいると、勝負事はゲームに勝つだけではなく、勝ったところでやめて、その場から離れ、かつ決してそこに戻らないことが重要で、このセオリーにまつわる話が何度も何度も出てきます。阿佐田さんはまた、勝ち続けることが大切なのではなく、ツキの流れの悪い時に賭け金を減らして、ツイている時に賭け金を増やし、かつ儲かっている間にゲームをやめる、こういった一連の、或る意味での"管理"が大切であることを説いています。このことは賭け事だけでなく、広く経済活動を含む人間の営みの多くのことに当て嵌まる気がします。

キャリアや個人の仕事を永遠に大きくし続けることは不可能で、時間の流れや環境変化、そして自分の経年変化の中で、どこかで折り合いを付けなくてはいけません。しかしそういったことは、成功している人ほど、そして自信のある人ほど、その実践は中々難しいものです。ところで、個人のキャリアや仕事と、組織、独立の命を持つ会社の仕事・ビジネスの話は全く別物で、後者に関しては、大きくし続けていくことが、その構成員(人間)が変わっていくことと共に、十分に実現可能だと思います。この違いが、微妙な違いのようで、圧倒的な質的違いであり、それが規模の違いも生んでいくのだと思います。

此の国、彼の国を見渡すと、様々な問題が起きていますが(或いは起きてきましたが)、あたかも賭けのやめ時を逃すように、個人が自らの考えをやめないことによるコストが、あまりにも大きい例が多い気がします。これは、政治家、ビジネスマン、様々な領域にわたります。なべて自ら(或いは自分たち)を、幽体離脱するようにして高く離れたところから俯瞰する感覚、"目"は、掛け替えなく大切だと思う今日この頃です。