これからの長い復興のプロセス。これが中央集権的に行われるべきなのか、分散的に行われるべきなのか。これは中々難しくて、かつ重要な問題です。戦後の復興期には、郵貯→財投という形で集められたお金が、国主導によって一点集中的に資本投下され、それが功を奏し日本は短い期間に驚異的な復興を遂げました。資本投下された先は、主に規格大量生産を可能にする仕組みです。今回も、過去の成功体験イメージが残っているので、その道を繰り返すでしょうか。或いは、いずれにしても初期の復旧のプロセス、そして復興の基盤を造るプロセスには中央集権的なリーダーシップが必要ですから、その延長線上にプロセスは進められがちでしょうか。しかし私はそのことに少々危惧を持っています。
戦後は、何が国内で、或いは世界で、求められているかが明らかな時代でした。需要が一様であったので、復興の手法も比較的容易に割り出せたのではないでしょうか。現代は、価値観も需要も極めて多様です。被災地の方々のニーズや要望、思いも、かつてに比べて広く多様ではないでしょうか。その需要に対して、供給も多様でなければいけないと思います。復興の基盤を造るところまでは中央集権的に、その上に新しい復興社会を造る部分は多様・分散的に進められるべきではないでしょうか。或いはタイミングで分けるのではなくて、量で分ける・混ぜるという手もあるでしょう。
先ずは復興資金を国の経済を毀損しない(毀損が少ない)方法で、かつ素早く確保すること。確保できることを明らかにすること。そしてその資金を使う復興のプロセスは、中央集権的な方法(例えば官・国)と、多様・分散的な方法(例えば民・地公体)を、意識的にバランスして行くべきではないでしょうか。(例えば資金の半分は数多くの民・地公体から集められたプロジェクトに分散投下する。暫く見てうまく行かないものは停止し、結果効用の高いものは伸ばす・増やす、などという手法も考えられます。)