情報に一喜一憂する日々が続いています。今日は昨日書いた「安全と安心」に関係するのですが「不安とリスク」について、もうひとつは「情報の偏り」について、ぽろぽろと私見を書きます。

東京の水道水に含まれる放射性物質の量が(これは平時から少量あるのですが)、乳児(一歳未満)用の最大基準値を超えたと云うことで昨日は一部ではちょっとした騒ぎになりました。不安が大きく増幅した訳です。そして今日は基準値を下回ったとのこと。不安になった方々の不安水準も下がったでしょうか?継続的に基準値を下回ると、不安は大きく引いていくことでしょう。御存知の方も多いように、乳児以外、即ち一歳以上のための基準値は昨日も超えていません。もし乳児用の別基準値がなかったら、それでも放射性物質の量は上がったり下がったりしている訳ですが、その場合には発表もなく(継続的な開示はしていたかも知れません)、不安も増大しなかったでしょうか?

放射性物質に限らず、私たちの身の回りにはリスクが一杯あります。そのリスクが指摘されると不安が発生します。知らないと不安にはなりません。一方で不安になるとそれはストレスですから、ヒトの免疫システムに悪影響を及ぼしそうです。ヒトの免疫システムを弱める最たるものはストレスだからです。免疫システムが機能しなければ、我々は短い期間でも生きていくことが出来ません。それは大きなリスクです。そして不安はそのリスクを増大するように思われます。何でも気にしないのが一番安全だとは云いません。危険は察知して回避する必要があります。しかし不安は同時にリスクを生成していると云うことを、少なくとも私はよく認識したいと思います。

正しい情報と正しい知識を持ち、最低限の不安で最大限のリスク回避することが大切です。不安とリスクは同じカテゴリーに属すると私には思われるので、一般のリスク回避にだけ集中し不安を高めすぎることも、安心しきって一般のリスクを高めることも、或る意味では同じ統合リスクだと思えるからです。繰り返しますが、私は医師ではありませんし、あくまでも個人的な考えです。そして今回の件は、情報を得ることも解釈することも出来ない乳児に関する件だった訳ですから、政府の対応自体に問題があったとは一切思っていません。あくまでも情報の受け手に於ける(即ち大人です)、不安とリスクの関係についての私見です。

「情報の偏り」も気になっています。少なくとも東京にいると、原発関連情報は多すぎ、東北・北関東の被災地情報は少なすぎ、リビア関連は大幅に少なすぎ。情報の出し手であるメディアの偏った情報により、私の中での情報マップ=パースペクティブ(遠近感)が歪むことを私は懸念しています。積極的に自ら努力して、正しい絶対音感と云うかパースペクティブを維持していきたいと思います。これは広い意味でのリスク管理にもなるでしょう。
以上、あくまでも私見のぽろぽろでした。