昨日は動揺なるつぶやきを書き、一部の方には御心配を掛けたようで申し訳ありませんでした。会社のことでも、私の健康のことでもありませんので御安心下さい。ちょっとした心の機微の問題であります。そして昨日のつぶやきに書いたように、動揺の本質について考えてみました。

水の入った器に石が投げ込まれ、場合によって水が溢れる。昨日はこの石のことを動揺と考えたのですが、良く考えると違うと思うに至りました。動揺とは、水が器から溢れる・或いは溢れそうになる瞬間を感じることであり、石はあくまでもきっかけに過ぎないと。しかしそのきっかけによって、器の大きさ(それは心の大きさとも云えるでしょう)が収縮し、その結果普段は溢れない波が器の縁に達してしまう。その瞬間を縁が関知することが動揺ではないかと。そして石が多く投げ込まれ続けると、器の大きさを拡大していかない限り水位は上がり、やがて波は溢れやすくなっていきます。そんなことかなぁと思うに至ったのでした。

いつそう思ったかと云うと、風呂桶に自らが入り、その波が縁に触れそうになるのを見た時なので、まぁ思いつきではあります。波はやがて収まります。しかし最終的には溜まった石を取り除いて水位を下げるか器を大きくしないと解決しないでしょうね。昨日と今日はつぶやき中のつぶやき。私の心のひだの話でありましたが、明日は久し振りにマーケットの話でも書きたいと思います。