昨日は鈍感と云うテーマで、福田首相の辞任に関して、我々国民がこの異常事態に対してもっと敏感にならなければいけないのではないかと書きましたが、更に一晩経って思うに、今の政治の在り方自体に、既に制度疲労が起きているのではないかと感じ始めました。
自公体制がとか、ねじれ国会がとか、そう云ったレベルの話ではなく、今の議院内閣制とか、間接選挙による総理大臣の任命とか、そのような根本的な制度が、既に日本の現代社会に適していなくて、無理があるのではないかと思うのです。
このことを端的に表しているのは、福田首相が辞任の理由の中で、自らの内閣の支持率が低いことを、問題の一つとして挙げましたが、支持率の母体である世論の主体は、首相を選んだ自民党員でも議員でもなく、或いは議員を選出する選挙で投票した人とも限らず、もっと広範な一般国民であると云うことです。
政権を創った基盤と、存立基盤がずれている。これでは砂上の楼閣になりかねません。或いは現象面から観察すると、度々問題を起こしている日本相撲協会と同様、世襲が多く、古い因習があり、自浄能力が低下していて、自らの醜態には中々気付かず、余程あからさまに外部から指摘されて、一旦は反発して、ようやく気付いていくと云う、そんな典型的な制度疲労組織と同じ現象を、今の日本の政治は持っているのではないでしょうか。
Nothing is too late. 遅すぎると云うことはありません。今の状態を放っておかないで、選挙制度から変えていくとか、抜本的な改革を進めるべきでしょう。そもそも一票の重みがずれたままで放置されていると云うこと自体に、民主主義的には恐ろしい矛盾と云うか、民主主義に対する無視が存在すると思います。
この問題が放置されていることに、いい加減慣れてしまっている私たち・世論にも問題があります。やはり最後は自分達の問題に戻ってくるのでしょう。自分たちの国ですから、疲労した制度は、自分たちの問題として、サッサと変えていかなければいけないと思います。