今日は忠臣蔵の日です。旧暦12月14日の夜中から15日の未明に掛けて、赤穂浪士は吉良邸に討ち入りました。しかし忠臣蔵の真実に関しては諸説紛々で、謎の中にあります。私の中学からの友人に吉良君と云うのがいるのですが、彼は吉良上野介の末裔で、今頃の季節はいつも不機嫌でした。実際の吉良上野介は名君であったのに、忠臣蔵の中で歪曲されて伝えられており、家で教わっていることと違うのが理由だったようです。

上野介=名君説は、地元にもあり、信憑性は高そうですが、真実は分かりません。大石内蔵助を筆頭とした四十七士は、忠義のお手本と云われていますが、内蔵助は実際に山科で飲んだくれていたら、周りからいい加減にしろと云われて嫌々ながらに討ち入りを果たしたという説や、浪人となって荒んでいく四十七士を見かねた時の幕府が、綱紀粛正のために47人まとめて切腹させるために脚本・監督をしたことであるとか、様々な説があります。

しかしいずれにしろ、私はあのお話が好きだったので、最近はこの時期になっても古い映画も新作ドラマも放映されないので、残念です。名場面である雪分かれの南部坂は、赤坂の氷川神社の近くにありますが、今晩はちょうど赤坂で昔の仲間との忘年会があります。討ち入り前に、内蔵助は吉良の目を欺くために飲んだくれていた訳ですが、今日は誰の目から隠れるでもなく、楽しく飲みたいと思います。酔って討ち入りなどは致しませぬ。