作詞家の阿久悠さんが亡くなられたとのこと。実に5000以上もの歌謡曲の作詞をしたとのことで、脱帽と云うか驚嘆するのみです。更にその作詞された曲のリストを見ると、呆れるばかりの数の聴き慣れたヒット曲が並んでおり、私のような世代の者にとっては、驚嘆を越えて唖然としてしまいます。
その多くは歌い慣れた曲でもあるのですが、その詞を思い起こすと、その幅というかレパートリーと云うか、そこに作られた世界の色合いや価値観の種類の多さに、これまたビックリします。どうしてそんなワザが出来るのでしょうか?天才であった、と云ってしまうのは簡単ですが、他にも思うことがあります。阿久悠さんは、当然歌を歌わせても上手だったに違いありません。
しかしもし彼が歌手でもあったら、これだけ多くの「違う」世界を作り出すことは不可能だったでしょう。これは逆に歌手にも云えることで、エルビスのように作らずに、しかも演奏せずに、ただ「歌う」ことだけに徹した人の歌の世界の方が、幅が広かったりするものです。役者が数多くの人生を演じることが出来るのと同じでしょうか。仕事をする上で、プロのワザの部分と個人的な価値観を或る程度分離することは、その仕事の世界に幅と厚みを付けていく上で重要なことかも知れません。そんなことを思った阿久悠さんのニュースでした。御冥福をお祈りしたいと思います。