今日はショッキングな事件がありました。松岡農相の自殺です。このつぶやきの原稿を書いているのは夕方前なので、皆さんがこのつぶやきを読む頃には、新しい事実の発見や、様々な評論が既に行われていることでしょう。それより前にコメントすることは憚りたいとも思いますし、そもそもこのテーマをここで取り上げることも憚りたいと思うのですが、しかし一方、全く避けて通る訳にもいかないでしょう。
私は、自殺することは人権だと考えています。これには多くの方が異論を持たれるかも知れません。しかし人は或る意味、自分の意思とは関係なく生まれてきたと云えると思います。もちろんこの考え方自体から、多くの方は違った見解があられることでしょう。しかし、「そうも」云えると思います。そして私は、そうであるからこそ、自分の人生をどう終わらせるかは、本人の権利として尊重されるべきだと思っています。これまた多くの御意見があることでしょう。しかしフランスの偉大な思想家モンテーニュも随想録の中で、確か似たようなことを書いていたと思います。だとすればそれは、ギリシア・ローマ時代からのひとつの考え方でしょう。
仮に自殺することが人権として認められるとしても、もちろん無理心中はいけませんし、社会的動物たる人間として、そこには一定の責任があると思います。その中には、その人の立場と状況によっては、社会に対しての説明責任などが含まれる場合もあるかも知れません。しかしそれでも尚、人ひとりの命は重く、多くのことは許されるでしょう。
いや、このテーマは重いですね。出口も答えもなく、あまりにも難しい。しかし社会は、感情だけに流されないで、「どうあるべきであったか」を考え、一定の評価をしていかなければいけないと思います。少なくとも私は、真剣に考えたいと思います。そうでなければ、後生に対して説明ができず、次世代は混乱していくのではないでしょうか。
死に際に如何に自らの人生を説明するかは、人生の重要なテーマだと思います。