随分前から漆器の御飯茶碗を欲しいと思っていたのですが、最近或る知人が金沢のお土産で輪島塗の一品を買ってきてくれました。私は毎朝、緑茶、御飯粒、焼き海苔と決まっているのですが、その大切な朝の一杯を、瀬戸物でなくて漆器で食べたいと長い間思ってきました。

お味噌汁は漆器が普通なのに、御飯粒は何故陶器なのか?どちらも温かいものだから、漆器で頂く方が合理的です。何故なら陶器では御飯が冷えてしまいます。一つ考えられる理由は、室町・江戸時代の食事は、お味噌汁は火に鍋などをかけて温かいままで食べられたけれども、御飯粒は炊いた後に保温しておく方法がなく、基本的に御飯粒は冷たく食べるものだった、という仮説が考えられます。ですから瀬戸物で食べていたのではないでしょうか。実際、冷えた御飯粒も中々美味しいものです。しかし現代では御飯は温かく頂くもので、私はそれを焼き海苔で包んで食べるのが大好きです。「現代においては御飯粒は漆器で食べるべきだ。」−そう考えてきました。

果たして、漆器で頂く御飯粒は?・・・これが絶品です。先ず軽い。手に冷たさを感じない。御飯粒が冷えない。文字通りの漆黒を背景に置かれた真っ白に輝く御飯粒!ゆらゆらと立つ湯気も、陶器を背景にすると見えにくいのですが、漆器の中では、如何にも美味しそうに克明に見えます。このアイデアは大正解でした。谷崎の陰翳礼賛によると、歌舞伎の化粧は昔の暗い照明の中でちょうどいいように考えられたもので、現代の明るい照明の中ではどぎつすぎて、観客の目に映る姿を基準に考えると間違っていると云いますが、御飯粒をどのような器で食べるか、ということも同様に、現代に合わせて変化していくべきではないでしょうか。