週末、おつきあいで仕事があり、生まれて初めて会津若松に行きました。会津若松というと、松平容保や戊辰戦争のイメージが強く、長州とは未だに仲が悪いのではないか?とか白虎隊や新撰組など、感傷的で武士的な色彩の強い、固定的な観念で見てきました。

いざ現地に行ってみると、ほんのちょっとの時間ではありましたが、様々な発見がありました。スケジュールの隙間を縫って見に行った鶴ヶ城は、その城郭の雄大さにビックリしました。幕末の石高は18万石ですが、どう見ても50万石クラス以上の立派さです。観光案内のおじさんに聞いて知ったのですが、会津藩は伊達、蒲生、上杉などに次々と治められ、その最盛期には120万石もあり、城もその頃の造営とのこと。外堀の範囲の広さも圧巻でした。町で感じた印象は金沢に近く、好戦的というよりはおっとりとしていて、それはやはり地域が基本的に豊かであったからでしょう。会津は盆地であるせいもあり、域外との人の流出入が少ないそうで、それが外に価値を流出させない経済圏を形成し、豊かさを作ってきたのではないでしょうか。

喫茶店や駅の窓口などで、一つの注文を受け付けると他の注文を受け付けないなど、必ずしも効率的でない面も、たまたまかも知れませんが経験しましたが、これもクローズドな経済圏を作ることに成功した場合の特徴で、それでもその域内は栄えるものです。色々な経済発展とその維持の仕方があることを再認識した週末でした。