アメリカ産の牛肉の輸入が解禁されそうです。安定大量供給になるには未だ時間が掛かるでしょうが、早晩、かつての行きつけであった吉野家でも、いつでも牛丼が食べられるようになるでしょう。吉野家で牛丼が食べられなくなってから、もうそろそろ2年になろうとしています。当然私の牛丼消費量はガタ落ちになったのですが、引き続き牛丼を販売しているお店の中で、比較的吉野家と味が似ている(と私が思っている)らんぷ亭にはたまに行っておりました。
今回の一連の騒動の中で、輸入禁止の決定、並びに再開の決定のプロセスや考え方が妥当であったのか、アメリカ産の牛肉に(或いは味と安定大量供給に)こだわって牛丼の販売を停止した吉野家の判断は、特に上場企業として正しかったのか、或いはその吉野家の株式を比較的好意的に保有を続けた投資家の判断は正しかったのか、等々、様々な論点があります。これらは正しい・正しくない、というよりも、総合的に判断して妥当であったか否かという、極めて曖昧な部分が多く含まれていると思います。
そして、政治の決定にも、投資家の行動にも、感情的な部分が常に多く含まれていることを再認識せざるを得ません。「況や消費者の行動をや」です。特に短期的な行動には、その要素が顕著です。短期的な感情の反応と長期的な合理的帰結の双方を見通すように努力しなければいけませんね。