高橋尚子さんがアテネ・オリンピックへの切符を逃しました。替わりに切符を手にした人には賞賛のエールが送られるべきであり、Qちゃんには残念でしたと云う他はないでしょう。記者会見の様子を今朝のテレビで見ましたが、表面は笑ってはいるものの、珍しくお化粧をしている顔のすぐ下には、ちょっと触れれば壊れそうな薄いガラスの人形が入っているように見えました。小泉首相が「もう一人なんとかならないのかな」と云ったのは、相変わらず無難で且つ大勢の人の心情を云い当てた、旨いフレーズだと感心しました。アメリカでは、マラソン選手の選考は、指定されたレースの上位3名で淡々と決めてしまうそうです。オリンピックの本戦では民族も、言葉も、年齢も、実績も、それこそシードも何もなく、全員が平等な枠組みの中で、実力(と運)だけを競います。そして勝った者に月桂冠が与えられます。選手は、クリアで厳格なルールの中で戦うことに慣れており、またそれを望んでいるのではないでしょうか。どうして代表選手選考だけが、あのように複雑かつ不透明になるのでしょうか。大概の不自然なことには理由があるものです。それが商業的な理由だったり、メンツだったりすると最低です。今回の騒動の根源・遠因が、仮に間接的ではあっても、そのような理由から生まれたものでないことを願います。そして今後の選考ルールの透明化を急いでおこなって欲しいと思います。