今日、午後のミーティングが1つなくなったので、これ幸いと15分ほど向かいの本屋に行ってみました。ふと思い立って白秋の「思ひ出」を読みたくなったのですが、文庫本しか見つけられませんでした。中学生の頃だったと思いますが、近代文学館の復刻版を父に貰い、とても気に入ったことを覚えています。「時は逝く。赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく。」などの綺麗で、かつヴィジュアルなフレーズがちりばめられた、素敵な詩集です。文庫本をパラパラとめくってみたのですが、確かに昔読んだのと同じ詩が収められています。しかし初めて読んだ時の感動には、到底近付くことができません。1つは感受性が落ちたせいでしょう。しかし本の活字(復刻版ですから正しくは活字を模した写植ですが)、紙質、紙の厚さ、本の大きさ、表紙のデザイン(「思ひ出」は掌に載る、とてもコンパクトな宝石箱のような装丁だったと記憶しています)、そういったもの全てによってトータルにプロデュースされた世界がそこにはない、というのも大きな理由ではないでしょうか?オペラにも歌舞伎にも、舞台衣装や舞台装置があり、それはトータルな芸術の重要な一部です。たとい「詩」という文字情報であっても、周辺装置、即ち装丁は、トータルな作品にとって重要な仕掛けなのではないでしょうか。特に詩のような雰囲気が重要な要素を占めるものにとっては必須な気もします。もっといい活字(もしくは写植)、装丁の本が出てこないでしょうかね。