想定外の米当局「レート・チェック」で円高拡大

1月23日、日本の通貨当局による「レート・チェック」との報道を受け、米ドル/円は159円台から一時157円台へ急落した。ただその後はすぐに158円台を回復する展開となった。米ドル/円の下落が本格的に再開したのは、NY時間に取引の中心が移り、NY連銀も「レート・チェック」を実施したとの一部報道が流れたためだろう。これを受けてこの日の米ドル/円は155円台へと、最大で4円近い下落となった(図表1参照)。

【図表1】米ドル/円の分足チャート(2026年1月23日~)
出所:マネックストレーダーFX

「レート・チェック」とは、基本的に通貨当局が為替市場に介入する前段階の動きとみられている。日本の通貨当局の「レート・チェック」については、最近にかけて円安けん制を強化していたことから、金融市場にとっては基本的に想定内であり、円高への動きも限られたということだろう。一方、米通貨当局の「レート・チェック」は市場にとっては「サプライズ」となり、円高への反応も大きくなったのではないか。

自力での円安阻止が困難になり米国へ協力要請?

では、米当局による「レート・チェック」が事実ならその目的は何か。このところ日本の通貨当局が円安けん制を強めていたことを考えると、日本からの円安阻止要請に米国が応じた可能性が高い。そもそも米トランプ政権は貿易相手国の通貨安に否定的なため、行き過ぎた円安の阻止に協力した可能性はあるだろう。

仮にそうであるなら、なぜ日本の当局はこれまで単独介入で円安の阻止、是正に取り組んできたにもかかわらず、今回は米国への協力要請に踏み切ったのか。それは、単独での円安阻止が困難になってきた、別の言い方をすると自力での円安阻止が困難になったことで、円安値更新前という段階で米国への協力を依頼したということではないか。

1998年6月の日米協調米ドル売り介入を振り返る

自力での円安阻止ができず、米国に協力を要請し、日米協調米ドル売り介入が実現したのは1998年6月のことだった(図表2参照)。当時は、大手金融機関の経営破綻が相次ぎ、日本の経済危機への懸念が広がる中で、日本単独の円買い介入では円安が止まらない状況にあった。そうした中で「最後の切り札」として発動されたのが、1998年6月の日米協調米ドル売り介入だった。

【図表2】米ドル/円の推移(1998~2000年)
出所:LSEG社データよりマネックス証券が作成

当時の米国では、クリントン大統領の訪中を成功させるべく日本の協力を期待していた。このため、その協力とのバーター取引で、日本との協調米ドル売り介入に参加したとの見方が支配的だった。

1998年に円安を止めたのは協調介入ではなく米ドルの「自滅」

「サプライズ」となった日米協調介入実現により、米ドル/円はその後最大で10円以上も円高へ戻した。しかし徐々に米ドル高・円安が再燃すると、協調介入から約2ヶ月後には米ドル高値、円安値を更新してしまった。つまり日米協調介入は、円安阻止の決定打にはならなかったわけだ。

米国にとって、自国通貨である米ドル売りは事実上、無制限に可能だ。そのため、米国による本格的な米ドル売り介入は米ドル高阻止、是正に有効であり、その最たる例が1985年「プラザ合意」だろう。ただし当時は米国自身が米ドル高是正を望んでいた。その意味では、今回は米国自身が米ドル高阻止を望んでいるのではなく、あくまで円安阻止への協力となると、その効果は限定的にとどまる可能性が高いのではないか。

円安阻止の決定打にならなかった1998年の日米協調介入だったが、それでも同年8月に米ドル高・円安はピークアウトし、その後は急激な円高への転換が起こった。それをもたらしたのは、「ルーブル・ショック」、「LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)ショック」と続き米国株が暴落、FRB(米連邦準備制度理事会)が緊急利下げに転じたことによる米ドル急落、つまり米ドルの自滅だったのである。

総選挙前の円暴落回避が目的か=日米「密約」はあるか?

さて、あくまで限定的としても、ここに来て日米協調円安阻止介入の可能性が浮上したのはなぜか。1月23日は、日銀会合の後円安が加速、160円の大台を目指す動きとなっていた。これを放置すると円安が加速する危険があっただろう。要するに、総選挙前に円暴落が起こるリスクを警戒したのではないか。

総選挙前に円暴落となれば、それは高市政権には強烈なダメージになりそうだ。そう考えると、ここに来て日米協調の可能性が浮上したのは、総選挙前の円暴落回避が目的だったと推測できる。もしもそうならば、それは日本から米国への要請であり、米国からその見返りを要求するという、日米間で何らかの「密約」がある可能性にも注目すべきだろう。