◆昨日発売の日経ヴェリタス3/25号から「広木隆のWalk in the Market」が始まった。<連載開始にあたって僕の持論を申し上げたい。それは「株は上がるものだ」ということである>という書き出しで、初回のコラムのタイトルは『株は上がるようにできている』。為替や金利は一定のレンジ内で上がったり下がったりするが、株価は基本的に右肩上がりであるということを述べたところ、貿易戦争に対する懸念から世界的に株式相場が大暴落。ヴェリタス編集部から、さすがに一言加えてほしいと修正依頼が来て、仕方なく「株価も下がることがある。実際、先週は大きく下げた」という一文を追加した。
◆もちろん、それが正しい。株価は上がったり下がったりする。但し、NYダウ平均が幾多の暴落を乗り越えて50年間で30倍になったように、株価の長期トレンドは右肩上がりである。「株価も下がることがある」などというのは当たり前のことだから説明不要。却って文章の趣旨がぼやけてしまう。
◆同業者のコメントなどを拝見していると、正確さを期すあまり、こういう可能性もある、ああいうシナリオもある、~なったら~こうなるリスクがある、とあれこれ言い過ぎて、結局、なんの「予想」にも「見解」にもなっていない例が少なくない。後で間違ったことを指摘されるのを恐れるからだろう。気持ちはわかる。しかし、それでは競馬の馬券をすべて買って、「外れなかった」というのと同じである。
◆『ローマ人の物語』などで知られる作家の塩野七生氏はこう述べている。「客観的な事実だけを並べても真実に迫れるわけではない。『こうだ』と思ったことを、責任をもって明確に書くのが作家の仕事。」(新潮社『波』インタビュー)ストラテジストにも通じる言葉である。
◆ヴェリタスのコラムはこう結んだ。「今後も株価が上がる理由を述べていく。理由はたくさんあるのでいくつ挙げたか数え間違いをしないようにしたい。」 そして最後に、こういう言葉を引いた。「世の中には3種類の人間がいる。数を正しく数えられる人間と、数えられない人間である。」 今度は当社の審査担当者から注文がついた。「広木さん、『3種類の人間がいる』と言っておきながら2種類しか挙げられていません。記述は正確に。訂正願います!」 ジョークのオチを解説するほど野暮なことはない。【新潮流】の読者におかれては心配無用と思うが。