究極の通貨安阻止策・外貨建て債券発行、そして協調介入

1984年の円安

もう1つ、日本政府が円安阻止に苦労した例は1980年代半ばの局面だっただろう。これは当時の米レーガン政権の米ドル高放置政策、「ビナイン・ネグレクト(優雅なる黙認)」政策の影響が大きかったとされた。こうした中で、当時日米の為替政策について協議する場であった円ドル委員会は1984年の声明に、「日本政府が外貨建て債券、通称『中曽根ボンド』発行も検討する」ことを明記した。これは、日本の米ドル売り介入体制強化のために、米ドル資金の保有を拡充する意味と考えられた。

ただ、この時の問題の本質は円安ではなく米ドル高だった。それは5年MA(移動平均線)かい離率で見ると、米ドル/円より、ユーロ/米ドル(当時は独マルク)の米ドル高行き過ぎ懸念が強かったことでも分かるだろう(図表1、2参照)。

【図表1】米ドル/円の5年MAかい離率(1980年~)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券作成
【図表2】ユーロ/米ドルの5年MAかい離率(1980年~)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券作成  

上述のレーガン政権の米ドル高放置政策が、財政・経常「双子の赤字」との共存が不可能である状況をもたらしていた。これを受けて行われたのが、1985年「プラザ合意」の実質的な米ドル切り下げで、そのために日米欧協調米ドル売り介入が行われた。これは、自国通貨の米ドルを無制限に売ることも可能な米国が、米ドル高問題解決に本気になったことで成功したと言えるだろう。

1995年の米ドル安

米ドルが危機的な状況に追い込まれたのは1995年にかけての局面だった。発端は1993年に誕生した米クリントン政権が、ポスト冷戦で日米貿易不均衡是正を優先課題に位置付け円高容認政策をとったことだったが、それが高じてやがて米ドル下落は対円で止まらなくなった。戦後初めて1米ドル=100円を割れる「超円高」となったのだった。

注目されるのは、この局面で米国は1994年から利上げに転じていたことだ。ただ米国が金利を上げても米ドルの下落は止まらなくなった。ここで印象的なのは、基軸通貨の米ドルでさえ、勢いづいた下落トレンドに歯止めをかけるのは簡単ではなかったことだ。その根底には自国通貨安阻止のためには他国通貨を売る必要があるが、他国通貨の保有が有限ということもあるのではないか。

その解決策の1つが、他国通貨の保有を拡充することだ。これについて日本政府の交渉関係者は、「1984年に米国は円安を止めるために外貨建て債券『中曽根ボンド』発行を提案した。それならば、米ドル安を止めるために『クリントン・ボンド』発行を検討すべきではないか」と提案した。究極の通貨安阻止策として度々浮上する外貨建て債券発行策。さながら今なら円安阻止介入強化のための「岸田ボンド」発行という考え方になるだろう。

ただ、「中曽根ボンド」も「クリントン・ボンド」も実現までには至らず、1995年の米ドル安は日米欧の協調介入を再三繰り返す中で終了するところとなった。

2000年のユーロ安

米ドル、円とともに三大通貨の1つ、ユーロが危機に陥ったのは2000年にかけての局面だった。1999年、米ドルに続く「第二の基軸通貨」として華々しく登場したユーロだったが、むしろ下落トレンドが展開し、1年余り後にはユーロ圏経済が景気後退と物価高の同時進行、スタグフレーション懸念が浮上したこともあり底割れのような状況となった。

ユーロ安にとって、問題になったのが2000年は米大統領選挙年だったということだ。ユーロ安に歯止めをかけるためにはユーロ買い・米ドル売り介入が必要だ。しかし、米ドルを自国通貨で大量に保有している米国が、選挙前に協調介入へ参加するのは政治的リスクが高く簡単ではないとみられた。

結果的には、11月の大統領選挙の前、9月にG7(先進7ヶ国財務相会議)協調ユーロ買い介入が実現すると、それによりユーロ安は反転に転じた。選挙前に米国が参加した協調介入は困難ということを材料に、投機的ユーロ売りが拡大していたことから、たった1度の協調介入でユーロ安が止まるということになったのではないか。

米大統領選の年という特殊要因

私は、今回の円安はこの2000年のユーロ安と似た構図もありそうだと考えている。円安の元凶は、異次元緩和の副作用、それに伴う日米などの間の大幅な金利差円劣位拡大だが、それを受けた円安問題が2023年までではなく、この2024年にクローズアップされたのは、絶対的に大幅な金利差の長期化に加え、米大統領選挙年で米国が動きにくいという面もあるかもしれない。

絶対的に大幅な金利差円劣位は円売りにとって圧倒的に有利な要因だ。そうした中で投機的円売り超しは過去最大規模に拡大した。圧倒的な要因だからこそ、一種の「円売りバブル」が起こっているということだろう。円売りが、金利差円劣位が大きく縮小に向かう見通しが浮上するまで続くかが、今回の介入との攻防劇で試されているということではないか。