◆「二月十九日のその朝、坂本絃之助は、弟子筋の平与力や同心たちの射撃練習のために早朝から屋敷裏の稽古場で火薬の調合に当たっていた。朝五つ過ぎ、おびただしく半鐘が打ち鳴らされる音を聞いた。」(飯嶋和一『狗賓童子の島』)

今から180年近く前、大阪の天満で大塩平八郎に率いられた一党が武装蜂起した。大塩平八郎は大阪東町奉行所与力だったが隠居後は学業に専念し、自らの私塾<洗心洞>で子弟の指導に当たった。平八郎が信奉したのは、一昨日の小欄で取り上げた陽明学。まさに「知行合一」を実践し、悪政に苦しむ民衆のために立ち上がったのである。

◆飯嶋和一の最新刊『狗賓童子の島』は、大塩平八郎の乱から9年後、大塩四高弟のひとり、西村履三郎の息子・西村常太郎が15歳になって隠岐に遠島されてくるところから始まる。腐敗した幕政に反旗を翻した大塩平八郎は民衆のヒーローであり、この時彼が配った「檄文」はまるで写経のように書き写され全国に広がっていった。日本海に浮かぶ流刑の島、隠岐でも例外ではなく、主人公・常太郎も聖人の息子のような扱いで島民に迎えられるのであった。

◆『狗賓童子の島』には、ペリー来航前後の隠岐の社会・経済状況が描写されている。廻船貿易で潤う沿岸部の村と、貧困に窮する山間部の寒村。発展し始めた頃の中国で見られた沿海部・内陸部の格差と似ている。しかし、当時の隠岐の格差にはもっと資本主義社会の暗部が潜んでいた。

◆遠隔地との貿易取引自体が資本主義の象徴そのものだが、その海運業の利権に絡む藩の役人と商人との関係がご多聞に漏れず醜悪である。食い詰めた農民は田畑を担保に商人からカネを借りるが返済できるわけがない。年貢制度、すなわち徴税システムがそもそも滅茶苦茶なのである。農民は田畑を奪われ小作に転落していく。権力と結びついた資本家が弱者にファイナンスし搾取して富を増やす。

◆飯嶋和一の作品に共通するテーマは、体制の矛盾と苛政に苦しむ弱者の憤懣である。『狗賓童子の島』は幕末・維新という時代を描きながらも現代にも通じる問題提議をしている。資本主義と格差、そしてその歪みを助長させる政治の腐敗である。

◆「お金を教祖とする宗教組織のような、本来の目的とはずれたシステムを突きつけられた時に、個人がどう選択して生きていくのか。30年も小説を書いている動機が、そこにある。」そう語る作家の6年ぶりの新作は、ピケティブームに沸く昨今、非常に時宜を得た刊行となったと思う。大塩平八郎の「檄文」に、こういう一節がある。「小人に国家をおさしめば、災害並いたる」。それから180年経った現代にも、まさに通じる話ではないか。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆