◆きのうは俳句、今日は詩を。田村隆一に「西武園所感」という詩がある。
詩は十月の午後/詩は一本の草 一つの石/みみっちく淋しい日本の資本主義/ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか
◆この詩が収められている詩集「言葉のない世界」は1962年、僕が生まれる一年前に刊行された。62年といえばJ・F・ケネディが米国大統領に就任して2年目、キューバ危機が起きた年である。米国が介入したベトナム戦争もそこから泥沼化していく。世界は激動していたが、日本は60年安保が一息つき、安穏とした空気が流れていたのだろう。植木等のスーダラ節や無責任男が流行った年だ。
◆その時代の空気が詩人に「みみっちく淋しい日本の資本主義/ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか」と言わしめたに違いない。翻って現代はどうか。僕らに倒すべきグラン・ブルジョアはあるだろうか。「ブルジョア」とは本来、中産階級の市民を指す言葉であった。それが近代の共産主義、社会主義的な思想のなかでプロレタリアート(労働者階級)と相対する資本家階級を指す言葉へと転化した。
◆無論、現代も資本家と労働者の二項対立は続いている。それはトマ・ピケティ『21世紀の資本論』があれだけのブームになったことによく表れている。(詳しくは、7月28日付ストラテジーレポート『21世紀の資本論』をご参照)
◆先日、日本経済新聞のアンケート調査で、円高と円安、どちらが好ましいかと尋ねたところ、円高のほうが好ましいと回答した比率が、円安をよしとした比率を上回った。当然であろう、市井の一般人には自国通貨安は弊害のほうが大きい。円安で輸入品の価格が上がる。食品や電気代など生活に直結する物価が上がる。消費税も上がった。それで賃金が上がらなければ実質所得は目減りする。円安の恩恵を享受できるのはグローバル企業だけである。
◆簡単に言えば、マルクスの時代から労働者は資本家に搾取されている。今年度も多くの上場企業が過去最高益を更新するだろう。それは日本経済や日本株式市場にとってはグッドニュースである。しかし、そこに勤めるサラリーマンの給料は、企業業績の伸びほど上がるわけはない。それでもサラリーマンはおとなしく黙々と勤めを続ける。自分の手取りを、資本家と比べてもしかたないことを知っているからだ。それが資本主義だと知っているからだ。日本の資本主義は、みみっちく淋しいものだと心の底からわかっているからである。
詩は十月の午後/詩は一本の草 一つの石
十月もあと一週間余りで終る。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆