「絶望の円安」に便乗した「投機的円安バブル」

1998年8月にかけて147円まで展開した円安だったが、それは日本経済への悲観論の一方で、「強い米経済」を受けた米ドル高の裏面ということもあったようだ。名台詞の多いことで知られる当時のFRB(米連邦準備制度理事会)議長、A.グリーンスパンの名台詞の1つ、「米国だけが繁栄のオアシスを続けられるということが果たしてあるだろうか」との発言があったのはまさに1998年のことだった。日本経済悲観論だけでなく、米経済楽観論が続く中での米ドル高・円安だったことが、このグリーンスパン発言でも確認できるのではないか。

この「繁栄のオアシスが続くことはあるか?」といった、ある意味では米経済に対する「不吉の予言」は、結果的に当たったようになる。1998年夏以降の「LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)ショック」と呼ばれた動きなどをきっかけとした金融混乱の拡大する中でFRBは利下げへの急転換を余儀なくされた。こうした中で、米ドル高は米ドル安へ転換。これこそが、後から振り返ると日米協調介入でも止められなかった「止まらない円安」の終わりをもたらしたのだった。

1998年8月、147円で米ドル高・円安は終了した。そしてそれから間もない10月、米ドル/円は一転して110円割れ近くまでの大暴落に向かった(図表1参照)。きっかけは、著名なヘッジファンドが米ドル買い・円売りポジションで巨額の含み損を抱え、その投げ売りへの懸念が急拡大したことだった。

【図表1】米ドル/円の推移(1997~1998年)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券が作成

以上のように見ると、日本経済悲観論を受けた「止まらない円安」とされた動きは、途中からそれに便乗した動きによって作られた「投機的円安バブル」の可能性もあったのだろう。

1990年以降で最大の「止まらない円安」、「絶望の円安」の可能性があった1998年147円まで展開した米ドル高・円安。それが終わったのは、客観的には突如起こった金融混乱を受けてFRBが利下げに転換したためだったということになりそうだ。そうであるなら、「IF」、もしも金融混乱が起こらなかったら、「絶望の円安」はさらに続いたのだろうか。

既に限界圏に達していた1998年の円安終了

1998年にかけて米ドル/円が147円まで上昇した動きは、米ドル/円の過去5年の平均値である5年MA(移動平均線)を3割以上上回るものだった。少なくとも、1980年以降では、米ドル/円は5年MAを最大でも3割上回ると上昇終了となっていた(図表2参照)。

【図表2】米ドル/円の5年MAかい離率(1980年~)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券が作成

その意味では、1998年に147円まで米ドル/円が上昇した動きは、すでに円安の限界圏に達したものだった可能性がある。そう考えると、金融混乱の急浮上に伴うFRBの利下げへの転換も、「絶望の円安」が終わるきっかけにすぎなかったということではないか。

これまで見てきた1998年の147円までの米ドル高・円安を超えて2022年10月、151円まで展開した米ドル高・円安も、「世界的にインフレ対策の利上げを行う中、日本が利上げを出来ない限り円安は止まらない」と評価されるものだった。

その意味では、これも代表的な「止まらない円安」、「絶望の円安」と言っても良さそうだったが、結果的には2022年10月に一段落となった。そこで次回はこの、まだ記憶に新しいもう1つの「絶望の円安」。2022年にかけて展開した米ドル高・円安がなぜ151円で一段落したかについて考えてみる。(続く)