◆ノーベル賞発表の時期である。先日、スウェーデン王立科学アカデミーは、今年のノーベル物理学賞を、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授、天野浩・名古屋大教授、赤崎勇・名城大教授の3氏に授与すると発表した。青色発光ダイオード(LED)を開発したことが授賞の理由である。このニュースはテレビをはじめメディアで大々的に報じられた。確かに「偉業」には違いないし、そうした「偉業」を成し遂げたひとたちが褒め称えられるのは当然である。しかし、「日本人研究者、快挙達成」という報道のスタンスには違和感がある。
◆中村修二教授が米国国籍である、という事実がすべてを語っているように思う。中村教授は、著書『負けてたまるか!』のなかで、会社(日亜化学工業)を辞めて、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授になったのは、米国に比べて極端に低い研究者への報酬や閉鎖的な日本社会に対する不満があったからだと述べている。都会の大学のオファーを断ってUCSBにしたのは、用意された研究環境はもちろん、自然が豊富だというサンタバーバラの住環境を重視したからでもあるとも語っている。つまり中村教授は日本社会を否定し米国社会を選んだのである。米国の環境がノーベル物理学者を生んだのだ。
◆テニスの錦織圭選手についても同じことが言える。全米オープンで決勝に進んだ時、日本のメディアは「日本人初の快挙」と大騒ぎだったが、錦織選手は13歳のときから親許を離れ米国・フロリダにある世界最高のテニスアカデミーであるIMGアカデミーでテニス漬けの生活を送ってきた。最新鋭の練習設備、優秀なコーチ陣、そしてアガシ、シャラポワ、ビーナス姉妹など超一流プレーヤーのライバルたち。文字通り世界最高峰の環境が錦織圭という世界的なプレーヤーを生んだ。日本人に生まれた彼を育てたのは紛れもなく米国の環境である。
◆ハルキストたちは、またも悔し涙を流すこととなった。期待されていた村上春樹氏のノーベル文学賞受賞はならず、フランスのパトリック・モディアノ氏が受賞した。50年前のノーベル文学賞もフランス人が受賞した。もっとも彼は賞を辞退したが。ジャン=ポール・サルトルである。彼の妻、ボーヴォワールはこう述べている。「ひとは女に生まれない。女になるのだ」(『第二の性』)。ボーヴォワールの主張とは趣旨が異なるけれど、生まれた場所は関係ない。その後の環境と個人の努力がひとをつくる。世界的な研究者やスポーツ選手に「生まれる」のではない。そういう偉人に「なる」のである。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆