「格差社会」という言葉はすっかり日本に定着したかのようにみえます。平均年収が下がり、雇用不安等から社会全体が「豊かさ」から後退していて、一億総中流社会と言われた日本は大きく変容してしまったわけですが、中でも経済格差が拡大してきていることが注目されています。
国民の所得分布の中央値である50%に満たない人が全体に対しどれくらいいるかを示す「(相対的)貧困率」と言われる指標があります。国民の経済格差を表すもので、長妻昭厚生労働相は昨日、この「貧困率」を測定する方針を固めました。
この貧困率ですが、OECDの発表による2006年7月のデータでは、日本は先進国の中では米国に次いで2位という残念な状況にあります。
逆に貧困率の低い国としてはスウェーデンをはじめ、フランス、英国などが挙げられます。
皆さんには日本はそれほど貧困層が多いという実感があるでしょうか? ここで注意したいのは、この貧困率が「相対的」であるということ。
もう一つ興味深い調査結果があります。
「貧しさのために生活必需品が買えなかった経験」についてGlobal Attitudes Project(44 カ国、約38,000 人を対象に、世界的に行なわれている世論調査のプロジェクト)が2002年に調査したもので、日本、米国、カナダ、英国、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、中国、韓国、ロシアの11カ国を対象にしています。
この調査結果では、日本は「食料、医療、衣服を買えなかったもの」の比率が対象国中もっとも低く、相対的貧困率では低かったフランスや英国よりも「生活困窮者」は少ないことを示しています。
米国はといえば、相対的貧困率も生活困窮者の比率も先進国の中では一番高く、しかしながら上記調査対象国中(スウェーデンを除く)国民一人当たりのGDPは最も高く(2007年世銀調査)、豊かさと貧困の格差がいかに大きいかが分かる結果となっています。
実際のところ、米国では居住エリア、利用する店、学区などが生活水準によって明確に分かれており、犯罪発生率なども貧困地区が飛びぬけて高くなっています。
国民皆保険ではない米国においては、貧困層は病院にもかかれず、移民の場合は国語である英語もあまり話せないまま教育も十分に受けられずにいます。 半面、富裕層は日本人には想像もできないほどの豊かな暮らしをしています。 こうした富裕層と貧困層には生活の中に接点がないといってもよいくらいなのです。
このように国によって国民の生活背景は大きく異なり、国の経済力をGDPや貿易量だけで測るのは難しいように感じます。
特に現在、世界的に回復が期待されている個人消費というのは、まさに個々の国民の生活力や将来への不安の有無などが表れるものです。
人口における高齢者比率も見逃せません。各国の経済力や今後の経済上昇期待を占うときに、一義的な経済指標の比較だけでは見逃してしまうことも多くありそうです。新興国の経済を見るときにもぜひ注意していきたいものです。
日本においても、冒頭にあげたように長妻大臣の音頭によって相対的貧困率が調査されれば、「日本は貧困率が高い!」とニュースなどで声高に叫ばれる可能性は高いでしょう。それだけで日本の経済=もうダメだといった論調になりかねませんが、ひとつの調査結果に振り回されず、多角的に今後の経済見通しを考えていくようにしたいですね。
廣澤 知子
ファイナンシャル・プランナー