公開買付の対象となった注目企業の株価推移

前回の記事で取り上げたキリン堂ホ-ルディングス(3194)と、前々回の記事で取り上げたNTTドコモ(9437)の「公開買付価格」と「公開買付発表後の株価(※1)の推移」は以下の通りです。
(※1)株価は公開買付発表後はじめてストップ高以外で取引が成立した日から10月5日までのもので、()内は公開買付価格との比較です。

NTTドコモ:
公開買付価格:3,900円
取引所株価:3,875円(-0.6%)~3,895円(-0.1%)

キリン堂ホ-ルディングス:
公開買付価格:3,500円
取引所株価:3,490円(-0.3%)~3,585円(+2.4%)

公開買付が成立し、応募された全株が買い付けられる見通しの場合は通常、取引所での株価は公開買付価格より少し安いものとなりますが、公開買付価格から大きく離れることはありません。NTTドコモはその好例です。3,900円未満で買い付ければ、公開買付応募で3,900円との差額が利益になるため、3,900円未満では買付が行われます。一方、公開買付価格の3,900円で買っても利益は出ないので、3,900円で買おうとする人がいないのでしょう。

NTTドコモに競合の買い手が出てくる可能性は低そうです。一方、キリン堂は公開買付価格の3,500円以上で買い付けようとする競合ドラッグストアが現れる可能性がありそうです。3,500円という公開買付価格を上回る価格でも取引が成立しているのはそのためでしょう。競合が現れた場合は、3,500円より高い価格でキリン堂株式を買い付けるでしょうから、その可能性に賭けようというわけです。

ただ、いずれの例でも多くの人は現在の公開買付が成立するとの見方をしているようで、両社の株価はほぼ公開買付価格近辺で取引が行われています。

ニチイ学館への公開買付のケ-スでは?

一方、これらと大きく異なる値動きをすることになった公開買付もあります。介護大手ニチイ学館(9792)への公開買付です。ニチイ学館への公開買付は2020年5月8日に発表されました。キリン堂のケ-スと同じく、現在の経営陣が継続して経営を行うMBO形式の公開買付で、資金の出し手がベインキャピタルという点も同じです。

公開買付価格は1,500円に設定されており、上限を設けず、すべての株式を買い付けようというものでした。2020年5月と言えば、日経平均株価こそ持ち直し、20,000円を超えてきていた時期でしたが、緊急事態宣言の最中で大きな変化がもたらされていた時期です。

ニチイ学館の株価は公開買付発表の直前では1,000円を超えてきたくらいの水準でした。4月には1,000円を割るような場面もありました。しかしながら、市場全体の株価が下落する前の2019年末から年初にかけては1,600円を超えており、2019年11月には高値の1,960円をつけています。「1,500円の公開買付価格ですべての株を買い付けられてしまっては、たまらない」という思いの株主もいらっしゃったのではないかと思います。

2020年5月8日に1,500円での公開買付が発表された後、最初にストップ高以外で取引が成立したのは5月12日の1,532円でした。この時点で公開買付価格1,500円を2.1%上回っていますが、その日は1,532円からさらに値上がりし、公開買付価格を5.7%上回る1,585円の高値をつけています。その後も継続的に公開買付価格1,500円を上回る株価が続き、5月20日には1,600円を超え、5月29日には1,700円を超えています。

ニチイ学館の投資家にはアクティビストも多く、彼らが「1,500円という公開買付価格は不十分」と訴えており、市場も1,500円では不十分という見方をしたのだと思います。取引所で1,500円を超える株価で取引されている場合、1,500円で公開買付に応募することは非合理的です。

結果的に、6月22日には公開買付者が公開買付期間の延長を発表することになりました。6月には株価が1,600円超えで定着しており、「1,500円の公開買付は成立しない」という見通しが高まっていましたが、まだ買付価格は変更されませんでした。その後、7月9日に再度、公開買付期間の延長が発表され、そしてついに7月31日には公開買付価格が1,670円に変更されました。当初の公開買付価格を11.3%引き上げたわけです。これにより、アクティビストも公開買付に応募し、8月にようやくこの公開買付は成立しました。

ニチイ学館の株主にとって重要なことは、公開買付発表後、最初に取引が成立した5月12日に取引所で1,532円で売却していた場合、最終的な公開買付価格1,670円と比べ、1割近く安い売却になってしまっていたということです。取引所で売却すると後戻りできません。公開買付期間は6月22日まででしたので、株主は手続き時間を考えても6月中旬までは1,500円で公開買付に応募できたわけです。そうすれば、慌てて1,532円で売る必要がなかったと言えるのではないでしょうか。もちろん、この機会を見逃すと公開買付価格との差である32円は損をしてしまうのですが、結果的に1,670円になったことを考えると、「早々に売却してもったいないことをした」と言えそうです。

ニチイ学館のケ-スは「公開買付の際は、取引所での売却を急ぐことはない」ということを示すいい事例だと思います。