人の価値観を受け入れると不自由になる

こんにちは。プロコーチの三升谷真秀です。暑さの中にも秋を感じる季節になってきましたね。

さて、先日、ある経営者の方が「ずっと勝ち組だと思っていたのに、あるとき自分が負け組だとわかったときの孤独感ほど寂しいものはない」と話しておられました。私はそれを聞いて「勝ち組」と「負け組」と区分を設けた上で、そんな風にご自身を「負け組」と結論づけてしまうなんて、興味深い物の見方だと思いました。

そもそも、「勝ち組」とは何でしょうか?「負け組」とは何でしょうか?私たちの人間の数だけ、価値観の数もあります。それはとても多種多様なものです。そのような中で、「勝ち組」が何で、「負け組」が何か、定義を言える人はいるでしょうか?もしその定義があったとしても、人の価値観を自分の物の見方として受け入れてしまうととても不自由になります。また、ご自身の中でこれが「勝ち組」で、これが「負け組」と固定化した物の見方をしてしまうと苦しくなります。

大人の成長は内面的成長

「勝ち組」と「負け組」は幻想です。その幻想にしがみつく価値は何でしょうか?それでも、やはり誰かと比べたいと思いますか?もしどうしても比べることがやめられないのであれば、「過去の自分」と比べてみてください。

子どもは毎日成長していますよね。でも、「成長」は子どもがするものと決めていませんか?「成長」は大人もできます。身長が伸びることだけが、成長ではありません。大人の成長は内面的成長です。内面的成長のためには、日々、自分の人生を新しく創造することです。新しく創造するということは、「昨日の自分を超える」ことです。

昨日の自分を超えるために、今日、どんな自分として新しくどんな行動を起こしますか?人生の目的を実現するために何をしますか?資産運用をして、さらなる豊かさを生み出すことも、人生の目的を実現するためにできる一歩かもしれませんね。

まずは、そんな風に自分に問いかけることから、一日を始めてみてはいかがでしょうか?