「廃案」「行政長官辞任」要求、香港デモ収束見えず
先週のコラム「香港デモ、世界一の「自由経済都市」維持に立ちあがる市民パワー」に続き、香港から状況をお知らせします。
「逃亡犯条例」改正案の審議を巡って、反対派は6月9日と12日に香港の歴史でも最大級のデモを行いました。9日が103万人のデモ、12日は警察側がデモ隊にゴム弾や催涙弾を打ち込んで数十人がケガをする事態に発展し、これに押される形で、ついに6月15日、香港政府は、「逃亡犯条例」改正案の審議を無期限に延期すると発表しました。
しかし、それでも反対派は納得せず、反対派は、同条例改正案の「廃案」と「行政長官の辞任」を求めて6月26日に大規模なデモを呼びかけています。奇しくも7月1日は香港が中国に返還された「記念日」です。改めて、香港という存在やその在り方が問われようとしています。
実務能力の高さを評価されてきた現行政長官
さて、香港の行政長官ですが、これは香港人による間接選挙により選出されます。候補者を中国政府が確認する作業が入る上、親中派が選挙人の多数を占めるため、中国政府寄りの候補者が選ばれます。しかも、中国政府が任命する形ですから、親中国でなければ当選しません。
中国政府は、1997年以降、歴代の行政長官に、富豪のビジネスマンや親中派技能エリートを「指名」してきました。このため、行政長官は、いずれも香港人からは人気がなく、むしろ不興を被りがちな存在で、中国政府はこれに長年、頭を痛めてきました。
前回の行政長官選挙も、2014年に香港で起きた民主化要求デモ「雨傘運動」の直後で、内外から大きな注目を集める中で実施されています。そのため、候補者を誰にするか、悩ましい問題だったでしょう。
そんな中、中国政府が注目したのが、香港人公務員として英国統治時代からずっと香港政府で働いてきた林鄭月娥(りんてい げつが)氏です。中国に返還後の香港政府でも、しっかりとキャリアを積み上げ、中国政府の意向も「忖度」して汲み取って、周囲をまとめ上げる実務能力の高い人物と評価されていました。
実際に、林鄭月娥行政長官は、能力の高さでは、香港政府でも抜きんでていると言われ、香港人からも、香港政府機関からも、そして香港の長老たちからも協力を取り付けられる存在でした。2年前の選挙の時点では、香港にとっても、中国にとっても、願ったりかなったりだったのだと思います。
民意を無視し改正を押し通そうとしたことが裏目に
しかし、今回の「逃亡犯条例」改正案の扱いを巡っては、ことごとく裏目に出ていると筆者は感じています。
まず、頑なに法案審議を推し進める姿勢を貫いてきたことです。確かに、「逃亡犯条例」改正案を提案した理由は、法の不備を埋めることでした。「逃亡犯を犯罪処罰のために当該国に引き渡す」という正義に基づいた明確な理由があることから、論理的に押し通せると踏んでいたフシがあります。
提案した段階では、林鄭月娥行政長官も香港政府も、同案に対する世論の反発がこれほど大きいとは予想できていなかったのでしょう。提案時から挙げられている反対派の声には、ほぼ一切耳を貸さず、議論にも時間を使おうとしませんでした。
繰り返しになりますが、「逃亡犯条例」改正案は、犯罪容疑者を香港から中国本土に引渡すことを可能にするものです。香港に住み働く人、旅行者や出張者、トランジットのため空港に降り立つだけの人も含め、香港で身柄を拘束されると、「犯罪容疑」を理由に、中国本土に引き渡される可能性を否定できません。
「逃亡犯条例」改正案が成立してしまえば、軽微な犯罪や疑いをかけられても、香港警察により身柄を拘束され、中国本土に引き渡されて裁判にかけられるということが、公然とできるようになってしまうことを、香港の人々が懸念するのも道理なことです。しかし、この至極当然の反対意見は「無視」されました。
優れた実務能力があっても「政治家」ではなかったか
ところが、事態は6月9日の抗議デモで一変します。その抗議デモは、主催者発表で103万人が参加する前例のない大規模なものでした。しかしそれでも、香港政府は審議を継続しようとし、条例案の可決を急ぎました。
そして、12日にも抗議デモが発生し、ついに、デモ隊と警官隊が衝突するという事態の悪化に繋がりました。そして、この直後、林鄭月娥行政長官は、デモ隊を「暴徒」と呼び、警察側のゴム弾や催涙弾の使用を肯定しました。
これで、香港社会から林鄭月娥行政長官への支持は、急低下しました。デモに参加していたのは、ふつうの民衆です。そして、武装しているものなどいませんでした。林鄭月娥行政長官は、香港人に敵対宣言をしてしまったのです。
これにより、「逃亡犯条例」改正案に反対する人々は増加し、抗議行動としてデモは一気に拡大しました。学生など若者も多いのですが、子どもを持つ母親たちや中間所得層までもがデモに加わって反対の声を挙げました。
「雨傘運動」の時は普通選挙権や香港の自治など政治問題が理由だったため、抗議デモに参加することに消極的だった人も多かったのですが、今回のデモに、そうした人たちまで参加したのは、今回の懸念が生活権や人権そのものに関わるからです。
こうしてみると、林鄭月娥行政長官は、香港人が香港人である拠り所までなくなってしまうかもしれない、という懸念や不安を抱くことを理解できていなかったのではないでしょうか?優れた実務能力を持つ行政長官ではあるものの、政治家ではなかったのだと思います。
反対派の次なる目標に課題
6月16日には審議の無期延期が香港政府によって発表されましたが、反対派は、審議の延期では納得はしていません。あくまでも、廃案を求めて抗議を続ける意向です。香港政府が一部折れたことで、反対派が勢いづいている感はありますが、廃案と林鄭月娥行政長官の辞任を求める勢いは当面衰えないでしょう。
一方、香港政府は、後手後手に回ったままです。面子にこだわり、廃案の判断を躊躇しています。対応を誤れば、2003年のように、現職行政長官の首と引き換えに、幕引きを図るというシナリオが浮上するかもしれません。タイミングが遅れれば遅れるほど、傷は深くなるでしょう。
反対派は、G20で香港のこうした状況を取り上げるよう日本政府に働きかけているといわれています。しかし、「内政干渉を嫌う」中国政府は、これを封じるでしょう。議長国日本は、サミット自体を壊してしまいかねない中国の反発を恐れると思われます。米中首脳会談では、より大きな問題に時間が割かれるでしょうし、トランプ政権が香港問題で中国を追い込むことは望み薄です。
そういう意味では、反対派にも課題が出てきます。「逃亡犯条例」反対という考えでは、ひとつにまとまりましたが、「廃案」そして「林鄭月娥行政長官の辞任」のあとに、何を目標にするのかが、大きな課題です。
学生の一部には、行政長官の「普通選挙」などを主張する声もありますし、徹底的に現体制を批判する声もありますが、政治問題化や経済的な損失が拡大することは大多数の香港人の望んでいるところではありません。「雨傘運動」が、なぜ民衆の支持を失って雲散霧消したかをよく考える必要があるでしょう。