◆歳のせいか物忘れが激しい。出張に出かけて忘れ物をしないで帰ってきたためしがない。携帯をどこかに置き忘れる。買ったばかりの土産を失くす。ひどいのはホテルの部屋にPCを忘れてきたこともあった。「昨日はどこにいたの?」「そんな昔のことは覚えていない」などと映画「カサブランカ」のボギーを気取ってみても、「え、もしかして認知症…?」と思われるのが関の山だ。様にならないこと、このうえない。

◆困るのは人と話している時である。名前が出てこなくて「あれ、あれ、あれ」と言っていると、相手が先に名前を挙げる。今度は「それ、それ、それ」。代名詞しか言えない。完全に忘れていたのだけれど、「ちょっとド忘れしちゃって」と照れ笑いで誤魔化す。忘れていたことを取り繕うのだが、その反対に、わざと忘れたふりをする、ということも世間ではよくあることだ。しかし、経済記事で「忘れたふり」はいただけない。

◆米国で利下げ観測が台頭している、という記事を読んだ。失業率がおよそ半世紀ぶりの低さと景気は堅調で必ずしも金融緩和が必要な局面ではないが、過去も同様の環境でFRBは利下げをしたことがある、として記事は1998年のアジア金融危機時のケースを挙げる。「98年も米景気は拡大局面だったが、アジア金融危機で米国の株価が下落し、グリーンスパン議長(当時)が同年9月から11月にかけて小規模の利下げに踏み切ったことがある」。

◆FRBがそれまでの利上げ路線から一転、緊急利下げに転じたのは、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の破綻が背景だ。カリスマ・トレーダーだったジョン・メリーウェザー率いるLTCMは「ウォール街のドリームチーム」と呼ばれ、緻密な計量モデルで多額の資金を運用していたが、ロシア国債のデフォルトで吹き飛んでしまった。そのまま野放図的に破綻を許せば金融危機となったところだ。それをグリーンスパンはFFレートを98年9月からの3ヶ月間で3回引き下げるという荒技で乗り切ったのだった。

◆金融史に残る大事件とFRB議長の果敢な英断。それに一切触れずに、「景気は拡大局面だったが、株価が下落したので小規模の利下げに踏み切った」と述べるだけでは、いかにも「忘れたふり」ではないか。記事の論旨は、当時と現在の状況が似ている⇒だから今回も利下げがあってもおかしくない、というものだ。ところが当時の利下げは金融危機突入を回避するための緊急措置であって、現在とはまったく状況が異なるのだ。LTCM破綻を持ちだしたら辻褄が合わなくなる。それが「忘れたふり」の理由だろう。

◆それにしても世界経済の行方と今後の金融政策はますます混沌としてきた。昨日がはるか昔のことに思えるように、明日だって遠い未来のようである。「明日の相場はどうなるの?」と聞かれたら僕はこう答えるだろう。「そんな先のことはわからない」と。