2018年11月に行われた米国中間選挙では、野党・民主党が下院で過半数を奪取した。大統領弾劾には、下院で単純過半数の賛成により弾劾決議が行われ訴追となる。その後、上院が大陪審となり、2/3以上の議員が有罪票を投じれば、有罪確定となり弾劾される。つまり、2019年1月3日から始まる新議会において、下院で弾劾決議が行われるハードルが下がったといえる。もしトランプ大統領の弾劾プロセスが始まった場合、株式市場はどう反応するだろうか。
過去の事例はどうだったか ~株価は下落傾向になる
まずは米国における過去の大統領弾劾の事例を簡潔におさらいしたい。過去に大統領の弾劾決議が行われたのは、17代のアンドリュー・ジョンソン(民主党、就任時期1865~1869年)と、42代のビル・クリントン(民主党、同1993~2001年)の2人のみである。
ジョンソン大統領は、公務員任期法に違反したとされ、下院で弾劾決議が行われたが、上院で有罪判決には至らなかった。クリントン大統領も、ホワイトハウス(WH)実習生との性的行為に関し、偽証と司法妨害により弾劾決議が行われたが、上院では無罪となった。
37代のリチャード・ニクソン(共和党、同1969~1974年)は、民主党に対する盗聴事件(ウォーターゲート事件)に関し、司法省幹部らを解任し、隠蔽工作を行ったとして、下院司法委員会での弾劾勧告決議まで進んだ。しかし下院本会議で弾劾決議される前に辞任したため、厳密には訴追された大統領としてはカウントされない。ただ米国社会に大きな反響を呼び起こした政治スキャンダルであり、戦後の直近の例として、本稿ではニクソン大統領とクリントン大統領の2事例を取り上げる。
ニクソン大統領の場合 ~ウォーターゲート事件と「土曜日の夜の虐殺」
まずはニクソン大統領の例を見てみよう。以下図表1・2にまとめた経緯及び株価(S&P500)の通り、1972年6月17日に5人の人物が民主党本部に盗聴を仕掛けるというウォーターゲート事件が発覚、直後にWHの関与も報道されるが、市場はほとんど反応していない。
WH報道官が関与をきっぱり否定しているほか、そもそもニクソン大統領への支持率が高かった。外交ではベトナム戦争からの撤退や、ソ連とのデタントを進めたほか、内政ではドル・ショックによる景気刺激や環境保護を進めていたことが評価されていた。そして、その勢いのまま同年11月には大統領再選を果たす。
ただ翌1973年に入ると雲行きが怪しくなる。ウォーターゲート事件により、1月には大統領の元側近が有罪判決を受け、5月には特別検察官が任命され、さらに6月には元WH法律顧問が、大統領がもみ消し工作に関与したと証言。株価は、年初から7月上旬にかけて15%下落した。
極めつけは10月20日の「土曜日の夜の虐殺」と言われる、司法長官、司法副長官及び特別検察官の一斉解任である。これにより、株価は1ヶ月半で16%下落。これには、10月6日に勃発した第4次中東戦争とそれに伴う原油高により、米国が11月より景気後退に陥った影響も考慮しなければならない。
戦争勃発直後の株価は一時的に下げるも「土曜日の夜の虐殺」前夜には、殆ど戦争前の水準まで回復していた。1973年後半の株価下落は、ニクソン大統領のスキャンダルが大きく影響したと考えられる。
そして1974年に入ると、大統領執務室の録音テープを巡り、提出を拒否する大統領と司法当局の間で激しい争いが繰り広げられ、その間株価は続落。下院司法委員会で弾劾勧告が決議される7月末までに、株価は年初来で19%下落。ニクソン大統領は8月9日に辞任するが、その後も株価は10月初旬まで続落し、ついには約10年ぶりの安値をつけるほどまでに至った。年初来の下落幅は36%に達した。
クリントン大統領の場合 ~WH実習生スキャンダルとアフガニスタン攻撃
クリントン大統領の場合はどうだろう。同様に経緯と株価推移を以下図表3・4にまとめた。同大統領とWH実習生のルインスキー氏を巡るスキャンダルは、元々、大統領が関与したとされる土地開発・不正融資疑惑問題(ホワイトウォーター事件)の調査を行っていたスター特別検察官と、大統領に対する別のセクハラ疑惑で証言に立った実習生が結びついたことで発覚した。
1998年初め、実習生はこの別のセクハラ疑惑の審理において、大統領の性癖を立証するために、原告側が証言を求めたが、実習生はこの時、大統領との関係を否定した(ただし原告側は、このとき既に実習生が大統領との関係を同僚に語っていたテープを入手していた)。
大統領も数度にわたって実習生との関係を否定。しかし同年7月に、実習生はセクハラ疑惑の調査を開始したスター特別検察官との司法取引に応じ、セクハラに関する情報と、大統領の体液が付着したドレスを提出。その後、8月17日に大統領はそれまでの否定から一転、実習生との性的関係を認めた。この間約3週間で株価は7%の下落となった。
大統領は不倫スキャンダルを覆い隠すかのように、3日後の8月20日、在ケニア及びタンザニアの米国大使館がアルカイダに爆破された報復として、アルカイダをかくまっていたアフガニスタンのタリバン政権への攻撃を開始した。これに対し、自らのスキャンダル隠しの軍事行動という批判が高まり、株価は更に10%下落した。ただクリントン大統領の場合、株価が最も安くなったのはこのタイミングだった。
その後、下院司法委員会での調査が開始されたことなどにより、二番底となるものの、下院本会議での弾劾決議や上院での裁判期間中は、特に株価は大きく下落していない。
なぜか。ニクソン大統領の時とは異なり、当時の米国景気はIT景気のまっただ中で、前年比+4%以上の経済成長が続いていた。クリントン大統領の支持率も高いうえ、上院では少数与党ながらも、1/3以上の議席を確保していたので、有罪判決にならないという見方が一般的であった(図表5参照)。
ニクソン大統領とクリントン大統領の事例に共通するのは、大統領の嘘や、もみ消そうとしたことが発覚した時に、株価が下落する傾向だ。また、当時の経済や国際情勢にも左右された点でも同じだ。
他方、二者で異なっているのは、ニクソン大統領の場合、司法当局の幹部を解任するという暴挙に至ったことや、録音テープという明確な証拠が存在したことにより、上院で与党が1/3以上の議席は確保していたものの、身内の共和党からも弾劾は免れないと勧告されていたことだ。つまり、米国で初の大統領弾劾という史上最大の政治スキャンダルを目前にして、投資家のコンフィデンスが悪化したと思われる。
トランプ大統領の場合 ~弾劾される可能性は決して小さくない!?
では、現在のトランプ大統領の場合はどうだろう。2016年の大統領選挙における、ロシアとの「共謀」疑惑を巡り、既に特別検察官が指名され、捜査が進んでいる。調査状況の詳細は割愛するが、大統領の顧問弁護士や元側近が司法取引に応じるなど、捜査はいよいよ大詰めを迎えているとの見方が増えている。
2019年からの新議会では、野党・民主党が下院で過半数を奪還したため、弾劾決議を行いやすい環境になる。ただし現時点では、多くの識者は民主党が弾劾プロセスに動く可能性は低いとみている。その理由として、
1.決定的な証拠がまだない
2.与党が過半数を占める上院で2/3以上の有罪支持票を得ることは至難
3.弾劾決議が政治パフォーマンスと捉えられ、有権者から評価されない
といった事が挙げられる。
しかしトランプ大統領への弾劾が行われないとも言い切れない、と筆者は考える。
確かに上院での有罪判決のハードルは非常に高い。ただし弾劾を支援する材料は意外にも少なくない。まずトランプ大統領がコミー前FBI長官を解任したことが司法妨害にあたるかどうかは、結局、特別検察官や司法当局の見解次第で、司法妨害と看做すことはそこまで難しくはないと言われている。
また、弾劾に値する罪かどうかは別にして、ポルノ女優への口止め料支払いが、選挙資金関連法に抵触していることも、ほとんど明らかになってきている(トランプ大統領は、支払い窓口となったコーエン弁護士の責任としている)。
さらに、トランプ大統領につきまとう疑惑は、ロシアとの「共謀」だけではなく、金銭や個人ビジネスに絡むことも多い。もしトランプ大統領や家族のビジネスが、トランプ政権の政策により利益を得ているという事になれば、腐敗したエスタブリッシュメントに替わる政治家を期待していたコア支持者は大統領を見限るだろうし、過去の事例以上のスキャンダルになる可能性はある。
例えば、トランプ大統領は一時期、中国通信大手ZTEに対する米国製品輸出禁止の解除を示唆していたが、その前に、インドネシアにおけるトランプホテル建設に、中国国営会社の中国冶金科工集団などが5億ドルの融資を決めたといわれている。
また娘婿のクシュナー氏が、サウジアラビアからの資金調達を目指すなかで、カショギ記者殺人事件などに関し、トランプ大統領のサウジアラビアに対する態度は、議会の反発を呼ぶほどに煮えきっていない。クシュナー氏に関しては、ビジネスを通じて中国、イスラエル、UAEなどの外国政府に操られているとの話もある。
ロシアとの「共謀」疑惑以外にも、こうした金銭を巡るスキャンダルが、弾劾につながる可能性があるのでは、と筆者は考える。トランプ大統領は、全ての疑惑を連日のように否定しており、もしそれを覆す証拠がみつかれば、そのダメージは過去の事例に比べて大きいだろう(それでもトランプ大統領はシラを切るか、他人に責任をなすり付けるだろうが)。
どのような理由であれ、トランプ大統領弾劾の可能性が高まった場合、株価はどのように反応するだろうか。足元の経済は非常に好調なため、クリントン大統領の事例が当てはまるかもしれないが、2019年以降は減税や大型財政支出の効果が剥落し、成長スピードは鈍化するとみられている。
また株価自体も既にバリュエーションが高くなっており、景気循環調整済み株価収益率(CAPE)も、30倍を越えて1930年代の大恐慌の水準となっている。このような状況で、投資家マインドを大きく引き下げる大統領弾劾となれば、株価下落は免れないだろう。下落幅は、過去の事例から2~4割になる可能性がある。ただ、トランプ大統領が弾劾されれば、目立たないが堅実なペンス副大統領が昇格するということは、市場にとって安心材料になるかもしれない。
コラム執筆:阿部 賢介/丸紅株式会社 丸紅経済研究所