テレビで見ない日がないくらい、ひっぱりだこの林修先生の講演を聴く機会があった(どうでもいいことだが林先生と僕の誕生日は同じである)。講演のテーマはこどもの教育についてであったが、話術に長けた先生のこと、さまざまな方面に話題を展開して聴衆を飽きさせない。そんな林先生の話のなかで僕が瞠目したひとことがあった。林先生は「株価は幻想である」とおっしゃったのだ。株価が正確な企業価値を示しているかは確かめようがない。ではなぜその株価がついているかというと、ひとびとが「その価値がある」と信じるからである。つまり、ひとびとがそう思うから、その値段がついているだけであり、言ってみれば幻想のようなものである、と。

これは株価であっても、また通貨であっても同じことだ。岩井克人先生がよくおっしゃるように、通貨は、「ひとびとが通貨として通用すると信じるから通用する」という自己循環論法で成り立っている。株価も、ひとびとがその価値があると信じるから、その値段がプライシングされているのだが、それが「正しい」とか「間違っている」とかは確かめようがない。

本日発表された日銀の「金融緩和強化のための新しい枠組み:『長短金利操作付き量的・質的緩和』」は、市場にポジティブな驚きと安堵を与えることに成功した。日経平均は300円超の上昇を演じ、ドル円相場は102円台後半へと円安に動いた。日銀は現状維持で相場も大きくは動かないだろうとした僕の予想は、いい意味で裏切られたが、問題は持続力である。

業種別上昇率トップは銀行、2位が保険で3位証券と金融株の上昇が市場全体の値上がりを牽引した。銀行株が大きく買われたのは説明不要だろう。一部で予想されたマイナス金利の深堀りが見送られたことと、今回の緩和強化の主軸に据えられた「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」を好感したことである。

この背景については、9月13日付のストラテジーレポートなどを参考にしてほしい。長期金利上昇によるイールドカーブのスティープ化は日本株にとって好材料であると述べたところ、そのレポートを読んだ読者から批判があった。その内容は以下の通り。

<日本株と長期金利の連動は、単なる事実を示しているだけで分析になっていない。同時にレポートを書かれている大槻奈那さんは広木氏と正反対のことを述べている。自分には大槻さんのほうが中身が濃くて信頼のおける内容だった>

この指摘は半分正しく半分間違っている。この指摘の正しいところは、確かに僕の書くものは、大槻さんが書くレポートに比べて内容がはるかに薄いということだ。だが、それは人間性が薄っぺらいから仕方ないことである。

この指摘の間違っているところは、「大槻奈那さんは広木氏と正反対のことを述べている」という点である。「正反対のこと」を述べているわけではなく、僕と大槻さんはそれぞれ「別のこと」を述べたに過ぎない。

僕らは相談しながらレポートを書いているわけではないが、「われわれ」はチームなので意見のすり合わせは日常的に行っている(大槻さんのレポートの主語は「われわれ」である。こういう外資系のアナリストっぽい書き方を一度してみたいものだ)。

大槻さんが書いた9月13日付<長期金利上昇と金融機関の利益の関係:「事実」と「誤解」>は、その先見性が高く評価されるレポートになると信じて疑わない。

今日の相場を見てもわかる通り、イールドカーブがスティープ化する局面はセオリーでいえば銀行株の買い場だ。しかし、イールドカーブのスティープ化が進んでも銀行株の上昇要因と捉えるべきでないというのが大槻レポートの主張である。長短スプレッドが拡大してもそれだけで銀行の収益が上向くわけではないというのがその理由である。詳しくはぜひレポートを参照されたい。

端的に言えば、「短期で調達して長期で運用する」というのは昔の銀行の姿であり、それはもう古いビジネスモデルなのである。なので、もう一度繰り返すと、長短金利差が拡大しても銀行は儲からない。今回の日銀緩和の目玉、「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」では銀行に収益的な恩恵はないということだ。

イールドカーブ・コントロールについて、10年債利回りは現状程度(ゼロ%程度)で推移するようにすると日銀が宣言している以上、イールドカーブを立たせるための次の方策はマイナス金利の深堀りしかない。次は間違いなくここに手をつけてくるだろう、というより今回はそのための地ならし的措置の感もある。ということは、今回銀行株がマイナス金利拡大見送りを好感して買われた分は比較的早期に剥げ落ちるだろう。

そして、次は、「長短金利差拡大は銀行にメリットがある」という市場の間違った「刷り込み」 - すなわち「幻想」が剥げ落ちる。

では僕がレポートで書いた主張、「長期金利上昇によるイールドカーブのスティープ化は日本株にとって好材料」というのは間違いなのか。そうではない。それが前述した、僕と大槻さんは「別のこと」を述べているということである。銀行株については、長短金利差と銀行の収益に関する「事実」と「誤解」が認知されるに連れて銀行株への買いは細っていくだろう。だが、市場全体 - もっと言えば日本経済全体にとって、今回の緩和強化は非常に正しい方向性を打ち出したと僕は評価する。

日銀は「総括的な検証」のなかでこう述べている。<イールドカーブの過度な低下、フラット化は、広い意味での金融機能の持続性に対する不安感をもたらし、マインド面などを通じて経済活動に悪影響を及ぼす可能性がある>。そのネガティブな側面を排除するのが今回の「イールドカーブ・コントロール」と「オーバーシュート型コミットメント」である。日銀が言う通り、「フォワード・ルッキングな期待形成を強める」ことが重要だ。

英語が苦手な方のために、「フォワード・ルッキング」を日本語にすると、「前向き」ということである。ひとびとが前を向いた時に、長期金利が下がった状態 - すなわち金利に先安観があったらどうだろう。まったくインフレ期待など高まりようがないではないか。まずはそこから修正しようということだ。短期金利より長期金利を高くするのは、経済がノーマルな状態にあることを暗黙のうちに、ひとびとに刷り込ませる効果がある。それは「フォワード・ルッキングな期待形成を強める」ことにつながるだろう。

このあたりのことは、こちらのブログに書いたので参照してほしい。

引け後の黒田総裁の記者会見中に為替は円高に戻り、日経平均先物は100円安と早くも緩和効果が剥落しているようだ。しかし、それは今回の措置がまだ市場に理解されていないことによるものだろう。今回の日銀の総括的検証を踏まえた緩和強化は、日本経済、および日本株相場にとってポジティブであると僕は思う。大槻さんは大学の講義のため、本日オフィスを不在にしているので、この点についてまだ深い議論をしていない。よって、これは「われわれ」の見解ではなく、僕個人の見解である。

【お知らせ】「メールマガジン新潮流」(ご登録は無料です。)

チーフ・ストラテジスト広木 隆の<今週の相場展望>とコラム「新潮流」とチーフ・アナリスト大槻 奈那が金融市場でのさまざまな出来事を女性目線で発信する「アナリスト夜話」などを毎週原則月曜日に配信します。メールマガジンのご登録はこちらから