5月1日に相馬市に行ってきた。福島県の海沿いの北の街だ。それはそれはひどい被害だった。「相馬馬追」で有名な相馬市は俺が育った千葉県流山市と姉妹都市なのだ。今回はじめて知ったけど。その御縁から行くことになったのだ。慰問ミニライブは知り合いの知り合いとか実に地道な繋がりをたどって行っている。イベンターさんが仕切っているわけではない。こちらも持ち出しだし受け入れ側も時間もモノも人も少ない中、一生懸命用意してくれているのだ。大切にしたい。

朝の4時ころ実家を出発。4時半に流山市役所玄関で出発式。市長含め有志10名ほどが集まって応援してくれた。嬉しい。支援物資も積み込んだ。今回は市からの派遣という形。なので高速道路通行許可証がでた。ありがたかった。

さてGW連休中ということもあり渋滞が懸念されたためそうそうにみなさんに別れを告げ常磐道から東北道へ。途中サービスエリアでギタリストと合流し一路相馬へと向かう。なんとか渋滞は回避でき10時には相馬市内へ。はまなす館という公民館の避難所へ入った。そこで市の担当者と合流。彼の案内で被災現場を視察に。船が陸で転がり瓦解寸前の家が水たまりの中に。鉄筋の柱と屋根だけの建物が何も無い砂地に並んでいた。

戻って11時からはまなす館ロビーででミニライブ。ここには漁師の方々も避難中。歌っている横で酒盛り最中だったがちゃんと聴いてくれていて嬉しかった。ロビーを埋め尽くすほど人が集まってくれた。終演後は握手やらサインやら求められた。これも嬉しかった。続いて中村第二小学校体育館へ。こちらも避難所。体育館の床に寝泊り。ダンボールのパーテーションでのプライバシー確保。震災から2ヶ月経つのになあ。

ここでは体育館のステージで演奏した。ステージとはいってもほとんどのスペースは物資置き場。そして子供たち向けの漫画ミニ図書館。歌っている最中も子供たちが横で座っていた。歩きまわっていた。ギターリストの手の上からギターを弾こうと手が伸びてきたそうだ。あはは。終演後はパーテーションの方々にご挨拶。一番奥で布団に寝ていた女性が立ち上がって握手に応じてくれた。そして小さく言った。「子どもが二人死にました」。強く手を握りかえすしかできなかった。非情。その後昼食を食べた。相馬市塚の町の玄米菜食の店「なぴあはうす」さんで。美味しかったよ。

それからそうまさいがいFMに出演。市役所の一室に急遽作られた放送局なのである。放送技術及びおしゃべりは先ほど被災現場を案内してくれた市の職員さんその人なのであった。「TOMOSHIBI-地震が来たら-」を流していただいた。

それから相馬市のボランティアセンターへ。つくとオレンジ色の現場作業用ベストに身を包んだ女子大生が6名ほど。道路脇で作業に使ったであろうスコップなどを水洗いしていた。センターに入ると若い人も中年の人もいた。「一曲歌ってくださいよ」と言われたので急遽アンプを出しセッティング。ストリートライブ状態で2曲歌った。ランナーは世代を超えて受けが良い。じつに便利な歌である。実感できたのでますます慰問ライブに行く気になっている。株は下がるのかな遂に、と思っている。

写真なども載っている慰問ライブの模様はこちらのページで。http://blog.livedoor.jp/t_nagareyama/archives/4657194.html

「TOMOSHIBI-地震が来たら-」はiPhoneアプリも無料です。すでに世界49カ国でダウンロードされた。ぜひ聞いてください。http://itunes.apple.com/jp/app/tomoshibi/id432045039?mt=8

http://www.mukaiyaclub.com/music/tomoshibi/tomoshibi.html

サンプラザ中野くん数々の爆発的ヒット曲を生み出してきた「爆風スランプ」で活躍。自身のホームページでも意外な側面を見ることができる。http://spnk.jimdo.com/

※当コラムは執筆者の個人的見解であり、当社の意見を表明するものではありません。