芸術作品の解釈は、中々難しいというか、とても個性のあるものだと私は思っています。受け手の個性に応じて、解釈も変わり、それでいいと思うのです。それは必ずしも作り手の考えとは違う場合もあるし、それはそれで大いに結構で、評論家の解釈は、それはひとつの個性の解釈であり、自分も皆も、勝手に解釈すればいいと思っています。

私はコンテンポラリーアートが好きで良く見ますが、その解説は一切読みません。小学生の時に室生犀星の小景異情「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」を読んで、「遠きみやこへかへらばや」の「みやこ」は金沢か東京かにつき、試験問題の正解と私の考えは違いましたが、今でも私の考えが正しい、私の考えでいいと思ってますし(実際萩原朔太郎の解釈は私と同じです)、ポリスの名曲「Every Breath You Take」は、作者のスティングは過剰監視の曲のつもりで書いており、しかし多くの人は最高のラブソングだと思っており、しかしそれでこの曲の名曲さがちょっとでも変わる訳ではないので、芸術作品とは、常に一人歩きするものだと私は考えています。

なんで今日こんなことを書くかというと、今日、一風変わった芸術作品を創る若者の話を聞き、自分にはコンセプトがないと彼は云ったのですが、そんなのどうでも良くて、作品の絶対的な素晴らしさだけが全てであると、そう再認識したのです。それぞれの個性ある解釈が一番ですよね!