週末に新潟で話をした際、企業の本質のようなものにも触れたら、「ではお金の本質はなんですか」との質問を受けました。あまり考えたこともなかったのですが、その場で考えてみました。
太古の昔、人は自分で食べ物を全て作り、或いは捕まえ、調理する道具も自分で作り、それらを自分で食べていた。究極の地産地消である。やがて市場(いちば)ができ、人はそこで食べ物や道具を物々交換した。そうして経済は個人の周りのサイズから、ちょっとだけ大きくなった。場所と時間さえ共有すれば、分業することが可能になり、そのメリットを取れるようになった。
やがて貨幣が生まれた。特に紙幣は大きな発明で、紙幣、即ちお金のおかげで、例えば日本でものを作りお金にし、そのお金で中東から原油を買うことができるようになった。或いは何年間かものを作り続けてお金を貯め、その結果一年の生産力では買えないようなものを買えるようにもなった。お金は、紙幣は、人の経済行動を場所と時間の制約から解き放った。場所や時間を共有しなくても分業が可能になった(因みにこの効用は、インターネットの効用も似ている。電話は時間さえ共有すればコミュニケーションを可能にしたが、Eメールは時間も場所も共有しなくとも、かつ(郵便と違って)リアルタイムのコミュニケーションを可能にした)。こうしてお金の効用により、世界経済は大規模な発展を成し遂げた。
金融資産を嫌い金(GOLD)を買う人が増えた現代に於いても、金を法定通貨とする州が増えている現実の中でも、このお金の効用・偉大さは変わらないと思う。様々な事情から、先進国はお金をあまりにもジャブジャブに供給してしまい、その結果未曾有の低金利などの問題を惹起しているが、そしてその問題の解決には時間が掛かるが、お金の効用は変わらない。金(GOLD)から再びお金に注目が移る時が、世界の経済も良くなる時なのだと思う。
まぁこんなことを答えたのですが、今度この世界の過剰流動性の問題についてもつぶやいてみたいと思います。