気象庁は東京の桜が満開になったと発表しました。今年はかなり遅い感じがしていたので、若干意外感もありますが、標準木の花が一定基準以上開花したことが確認されると、自動的に発表となるようです。今日はとても暖かかったので、一気に開花が進んだのでしょう。今年のお花見の是非は色々と議論されていますが、敢えてその是非論については、今日は言及は控えておこうと思います。ですからあくまでも普遍的な花見自体について少々思いを。
お花見に対する私の思いは、歳と共に変化しています。小さい頃は、実はソメイヨシノはあまり好きではありませんでした。なんか規格的で、情緒が少ない気がしたのです。なんでそう思ったのかは良く分かりません。色が薄い気がしたのか。これは白っぽいという意味ではなく、何故なら木蓮はこの意味合いでは私には濃い色に思えるので、どこか薄っぺらい気がしたのだと思います。或いはやはり花の作りがどこか単純で、その大きさも適当に小さくて、なんとなく薄っぺらく思ったのかも知れません。感性とは不思議なものです。
年が経ち、花見で一杯なるものをするようになると、ソメイヨシノは必要不可欠アイテムだからか、普通に好きになりました。しかしいつも心のどこかで「本当はもっと好きな(花見用の)花があるんだ」という気持ちがあった気がします。小さい頃から一貫して、あまのじゃくな性格があったのかも知れません。そのあまのじゃくが優勢を取り戻して、ソメイヨシノ以外の春の花に気持ちが傾いた時期もあります。
そして今は?今は花見を楽しもうとする心の余裕がちょっと減っていた気がします。全ての印象、感動は、自分の心の中にある。喉の痛みも引いてきたので、心に柔らかさを増やしていきたいと思います。