震災の記事などを見ると、涙がぽろぽろと零れます。人前で見せるのは恥ずかしいので、ベッドで寝る前に携帯などで読んでいる時などによくそうなります。あまりにも大きなことで、そして様々な違う意見があることばかりだと思うので、そして今後の状況如何で常に考えも変化していくと思うので、中々書きにくいことが多いのですが、それでも尚、震災関係で今思うことをぽろぽろと、小出しに、書き綴っていきたいと思います。今日はふたつ。「安全と安心」と「ホームステイ」について。

先ずは安全と安心。英語で書くとsecurity(或いは safety) と sence of security'或いは(easy、relieved、assuredなど) になりそうですが、日本語の安心とそのまま同じ英語はないかも知れません。安全は確保出来ても、即ち安心するとは限りません。安全基準は政府が作りますが、安心はそれぞれの人の心の中にあるものです。ですからこの二つは一致しないし、安全だからと云われても安心するとは限りません。しかし安全が増えれば、安心してくることは確かです。ですから英語では sence of security と云うのでしょうか。政府等の情報伝達も、安心を伴うような安全の説明をするようにもっと工夫すべきではないでしょうか。誤魔化してくれと云ってるのではありません。説明の仕方です。それは国民向けだけでなく、国際社会に対するコミュニケーションでも同じことが云えると思います。

もうひとつはホームステイ。被災地の方々には土地に対する思いがあられると思います。一方で被災地での生活はかなりの苦難が伴うと思われます。実際関東南部や関西への移動も行われているようです。移動先の避難所へ入られたり、或いは公営住宅の空き家の開放なども進んでいるようです。一部では個人が家の空きスペースを提供する動きもあるようです。この最後の形態ですが、子供を里親のように預かって、親御さんは場合によっては地元の復興に携わるという、一種の変化版は増えないでしょうか。子供は学校に行ける。一家を引き受けるにはそれなりのスペースが必要ですが、子供だけならなんとかなる家庭も多いかも知れない。子育てが終わった親が外国からの留学生をホームステイで受け入れる形の変化版です。

冒頭申し上げたように。色々な意見があると思います。特に後者に関しては、親の気持ちとしてそんなこと出来ないという意見が多そうです。これからの状況でも考えが変わるでしょう。しかし徒然なるままに、ぽろぽろと考えを書いてみました。これから長丁場です。長く続けられる仕組みを考えていかないといけないと思います。