荘子に出てくる混沌は、小さい頃に読んだ時は巨大なうなぎ、もしくはなまずの様に感じました。どうしてそう感じたのか、理由は良く分かりません。子供の頃の独特の無知と感受性があったのでしょう。その結果だけを憶えていて、プロセスを憶えていないのが情けないと云えば情けないです。

今読む混沌は、やはり無限の奥行きと可能性を含んでいて、荘子の荘子たらん所を感じます。さてこの混沌、今の日本は混沌とした状況でしょうか。荘子の云った混沌からは遙かに、いや比較しようもない、次元の違う、低レベルの話ですが、我が国は混沌としている感じがします。方向感がないのでしょう。
混沌を善しとするか悪とするか。混沌を終わりと見るか始まりと見るか。然し全て過去は過去、未来はこれからです。新聞紙面は気の重くなる世の中、人の話が多いですが、全てを生み、変えていくのも、やはり人と世の中です。日本はもっと希望を持たないといけないですネ。