傍観とは何だろうかと、ふと考えました。色々なものを傍観するケースがありますが、自分自身を傍観する場合もあります。これは客観的に自分を俯瞰していると云う意味ではありません。俯瞰と云うとコントロールするために見ている感じがしますが、傍観の場合はただ単にぼうっと見ているだけです。コントロールしようとか、変えようとか、そう云うエネルギーのない状態です。「時」はどうでしょうか。時を傍観すると云う概念があるでしょうか。白秋の「思ひ出」は好きな詩集ですが、一番好きな詩は「時は逝く」です。

時は逝く。赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく、
穀倉の夕日のほめき、
黒猫の美くしき耳鳴のごと、
時は逝く。何時しらず、柔かに陰影してぞゆく。
時は逝く。赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく。

白秋らしい言葉の美しさと、白秋らしい、ちょっと傍観した哀しさがあります。何を傍観し、何を傍観しないのか。これは本人の意思の問題ですが、本人は意識的に区別してないケースが多いのではないでしょうか。傍観しているものがないか、探してみようと思います。