エスカレーター事故がありました。手摺りと事故防止用のアクリル板との間に首を挟まれた小学生は重体とのことです。とても悲しい出来事です。この事故防止用の板の形状が基準通りでない部分があったようで、それはよろしくありません。しかし私はひとつ思うことがあります。エスカレーターに限らず、世の中では事故防止のために様々なことが義務付けられています。加えて、放送によって、録音された声が、ひっきりなしに注意を喚起します。

しかしそれと同時に、危ない行為を見た周囲の人が直接注意するような行為が、日本全国で減ってないでしょうか?テープの放送に任せてしまって放ったらかし。しかし普通子供はテープの声には馬耳東風ではないでしょうか?逆説的に云うと、録音による放送をすればするほど、直接生きた声で注意をすることが減り、その結果、何がどう云う理由でどれだけ危ないかを、きちんと認識・理解する機会が減ってないでしょうか?

この論点は、哲学者の中島義道さんが書かれていることに共通しています。彼の著作(『うるさい日本の私』)を読む限りでは、屁理屈のようにも聞こえますが、今回のような事故を目の当たりに見るにつけ、もっともっと真剣に考えるべきではないかと感じます。私自身が生きた声を出せているか?先ずは自分から、ちゃんと声を出すように努めたいと思います。