以前に東京の「○○町」をマチと読むかチョウと読むか、法則性が見いだせない旨書きましたが、最近知人から「東京の地名がわかる事典」という決定的な本を教えて頂き、数々の疑問が霧が晴れるようになくなりました。(因みに現在の行政区域としての町は、フォサマグナの右側ではマチ、左側ではチョウと読まれるのは、以前に書いた通りです。)
江戸に於いてはマチとチョウは、身分を区別するものとして明確に意識して使い分けられていたというのです。町人が住む場所はチョウ、御家人などの幕臣・武家が住む場所はマチだそうです。これは地名だけでなく、行政組織に於いても町人関係のものはチョウ○○(町代など)、武家関係のものはマチ○○(町与力など)と使い分けられていたそうです。例外は江戸の先住民が住んでいた地域はマチであったり、将軍家の親衛隊が住んでいた番町は元々番丁であることからチョウであるなど、ほんの少数とのことです。いやはや勉強になります。他にも築地は本願寺建立のために埋め立てた地であるので築地であったり、佃も元々は築田であり、月島も築島であったなど、東京の地名の由来が本当によく分かります。地名から往時を偲ぶのは、趣があっていいですね。