住む場所の気温と思索活動とは関連があるでしょうか?赤道直下の地域からの哲学者というのはあまり聞いたことがありません。しかし暑いと思考が鈍るのかと思うと、エスキモーで著名な哲学者というのも聞いた覚えがありません。では暑くも寒くも気候が厳しい所は哲学に向かないかと思うと、気候が穏やかなハワイからもあまり哲学は聞こえてきません。さてこれはどういうことでしょうか?ひとつ仮説を立ててみました。「厳しくも楽しくも生きる実感のある場所では哲学は生まれにくく、不自由や感動のない場所では、いろいろと頭で考えることによって敢えて苦しみを探して生きていることを確認する。」もし仮説が正しいとすると、随分無駄なことに人類の知力は使われてきたことになりますね。