先日、父が亡くなりました。90歳でした。亡くなる6日前にも身内の小さなパーティに出席し、楽しかった!楽しかった!とその後毎日話し、亡くなる前日まで古代ローマのホラティウスの詩を、ラテン―フランス語辞典を引きながら勉強し、亡くなる前日に家族の前で夕食を完食し、当日はお昼にパスタを食べてる最中に突然天寿を全うした、文字通りの大往生でした。
父からは多くの話を聞きましたが、大体フランスや古代ローマや荷風の話などを一方的に聞かされるばかりで、親子の会話らしい双方向の会話は、私の記憶の限りでは、一生の間に数回(3回くらい?)だけだったと思います。しかしその数回のうちのひとつが、私にとってはあまりにも大きな出来事でした。あれは私が幼稚園生の時、私は何かをして父に怒られました。父曰く、「なんでこんなことをしたのだ!」。私答える、「だって先生がいいって云ったから」。すると父は烈火の如く更に怒り、「お前は教師が人を殺せと云ったら殺すのかー!」と。
私の記憶では、当時煙草を吸っていた父は、その火を私の手に押し付けようとして、母がそれを防いだように覚えているのですが、この煙草の部分は後からの私の脚色かも知れません。しかし言葉のやり取りは間違いなく上記の如しでした。父は、昭和9年下町生まれの人間で、空爆を受けて育ち、しかしベーゴマで遊ぶ時は強いコマを持ってる子は自分のコマをB―29と呼び、弱いコマは紫電改と呼んで遊んでいたとのことで、全体主義・ファシズムに強い批判精神を持っている世代、人間でした。
その父が私に放ったこの言葉は、私に強烈な影響をもたらし、私の生き方を決めました。・・物事の善悪は自分で決めなくてはいけない。教師の云うことを聞いても、責任は全て自分にある。・・幼稚園生の私に、このことは深く深く刻み込まれたのでした。このことが、その後の私の生き方、生きざまを強く定義しました。それが原因か、小学校2年の終わりに私は退学になり、大学卒業まで、常に史上最低の生徒であったのですが…。
たった一言ですが、父は生き方を私に教えてくれました。その父が亡くなったことは、思っていた以上に遙かに大きな穴を、私に開けました。ポッカリと、本当に何かが胸から抜けたような。父の生きざまとは何だったのか。これからゆっくり考えていきたいと思います。
